ざっと降る 雨の拍手に あいさつし
馬糞 Bafun
もう雨上がりかと思ったが、夜になってざ~っと雨が降り始めた。
まるで拍手のようだった。
思わず自分も拍手をした。
一緒に拍手をしていても収まりそうにないので、深々と挨拶をした。
やがて、アストーリアスのギターを取り出し、一曲を奏でた。
定番、ヴァイスのファンタジーである。
演奏を終えても、拍手は鳴り止まなかった。
どうも、長雨になるらしい。
この夏は、水不足に困ることはなさそうだ。
【新聞テレビ時代終焉へのカウントダウンが始まった】
マスコミ権力の横暴は実に許しがたいが、それも滅亡のカウントダ
ウンに入っている。
一つは、U-チューブやブログにみるようなインターネット時代の進
展である。
もう一つは、U-チューブを含めてテレビが多チャンネル化しつつあ
ることである。
新聞もテレビも、もはや内堀まで埋められつつある。
それでもテレビCMや新聞広告が使われるのは、新聞テレビ神話
の残像と、電通などの広告権力が働いているのかもしれない。
あれほどの反日新聞であっても、企業広告を出すのだから、その
企業も反日企業なのだとしたら、捨て置けない事態である。
マスコミに対する唯一の民主的統制は、企業の広告選択の自由と、
国民の新聞購買の自由しかない。
テレビの視聴率と言うのは推計であるからどんなにでも操作できる。
視聴率は、テレビ広告業の仕掛けとみるべきだろう。
だが、日本の新聞が築いた宅配システムまで失うのは惜しい。
だから、新聞販売所の系列化を禁止すればよい。
系列化は、独占禁止法に触れる圧力によるものであろうから。
新聞販売所は、自由にどこの新聞でも、雑誌でも、広告チラシだけ
でも配達できるようにすれば、紙媒体の情報紙が活性化するだろう。
販売所は、過去の新聞も販売すればよい。
ただし、猥褻記事は徹底的に摘発する。
【大衆的表現商売によるわいせつ表現公害を許すな】
学術出版社を気取っていても、エロや誹謗中傷で金儲けをしてい
る出版社が社会を汚染し続けている。
なぜ、発売禁止や刑法犯の適用など、表現公害防止対策を採ら
ないのか不思議である。
ワタナベジュンイチとかいうエロ作家が文学賞の審査委員とはあ
きれたことでもある。
そのエロ作家を、日経新聞の定番にしていると言うのも、あきれた
ことである。
経済とはエロ好みということか。
どうりで、企業倫理が地に落ちていることである。
十八禁とは何事か!
犯罪ではないか。
公然わいせつ罪、わいせつ物頒布罪等、わいせつ表現犯罪の違
法性は、健全な性風俗を害し、性犯罪を増徴するところにある。
愛し合っているからと言って、公然性行為をする自由があるとは思
わないだろう。
なぜなのか。
性の統制、秩序を乱されるからである。
性欲は生命に組み込まれた子孫繁栄の仕掛けである。
その仕掛けは、動物では抑制装置が仕込まれている。
ところが、人間の性欲の抑制は、理性と秩序意識に委ねられている。
仕掛けの抑制は、生命誕生の神聖と、子育ての健全、家族の調和
を護るためにある。
だから、倫理道徳の課題であり、法規制の対象となるのである。
マスコミ企業の表現は、商業的規制に服すべきである。
すべて商業的表現であり、優越的保護を受けるべきだと言われる
「民主的表現」に分類すべきではない。
そもそも、優越的人権の論理自体に問題がある。
政治報道であっても、その民主的正統性は保証されていないから
である。
実際、選挙に関する『幸福実現党』の無視という、許されがたい差
別報道が行われてもいる。
商業表現は、社会を害することがないように、その表現責任を厳し
く問われなければならない。
特に、週刊誌の類は、特定の個人、団体への誹謗中傷とならない
よう、利害を有する相手方の了解を得ない限り、違法なものとして、
出版の差し止め、営業停止の措置をとることが求められる。
刑法の空文化を許してはならない。
表現犯罪の重罰化をする必要がある。
表現は、自由である前に、責任があることを国是として明確にする
べきなのである。
品格という言葉をテーマにした本がたくさん出たが、日本が失った
ものである。
すなわち、日本は下品な国になり下がった。
国家滅亡してもかまわないと思われる節があるということである。
『十八禁』なるものを公認した司法当局と立法当局は責任を取れ!
責任とは、切腹に準じるペナルティーと、後始末である。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
梅士 Baishi