花咲きぬ 咲いてみせたる この世かな
梅士 Baishi
梅の花の頃は、桜の季節は空想であった。
梅のリアルに勝ることはなかった。
思い描く力というのは、なかなか、リアルには勝てないも
のだ。
花の季節になってみると、花の心意気に感動する。
思い切って、その現実を体験すると、新鮮な感動や学び
がある。
あれこれ考えて、食わず嫌いでいることが安全なことも
あるが、この世の宝石をどぶに捨てていることもある。
知恵と勇気がこの世を楽しむためには欠かせない要素
である。
さて、今日から二泊三日で自由な世間を留守にする。
思い切り身体を動かすチャンスだが、膝の怪我が治らない。
バスケットもヒップホップも、山歩きもランニングも・・・。
ベガ星人のように、強靭な肉体を思い描いてそのように
変身したいものだ。
空想の力は超能力である。
【 引きこもりという「抵抗者」たち 】
フリースクールを指導している人の引きこもりに関する
本をざっと読んだ。
従来の学歴社会に対する疑問、なぜ、学校に行かなけ
ればいけないのかという常識への問題提起などが内容で、
幸福の科学の教育論ほどの先進性は見られなかった。
しかし、おもしろい考え方が目に止まった。
引きこもりの子供たちは、脱落者ではなく、家に立てこ
もって抵抗しているのだと。
潜伏し、立てこもっている戦士のように考えると、頼もし
くも思える。
問題は、唯一帰るべき家も、彼らのアジトとしては安全で
はないということだ。
常識や外聞に捉われた親であると、味方ではなくなる。
だから、不登校の子供たちには、社会性のある居場所
が必要であるというのはその通りである。
「学校は子供たちの居場所だ」という意義がもっとも大き
いであろう。
だからこそ、その安全と愛が不可欠であるのだ。
そのために、教職員がいるはずであった。
居場所がないと、自分の中に立て篭ることになる。
そうなると、この世から逃げる形になるので不幸である。
学校が居場所としてふさわしい環境でなくなった今、確か
に学校に行くことは義務ではなく、一つの選択でなければ
ならない。
その選択肢が少なくて、仕方なく学校に引き戻される。
ところが、学校は、暴力無法地帯、裏切り社会に荒廃し
ているのである。
公務員教職員の罪深いことよ!
無能で自己保存の事なかれ主義が、日本の未来の人材
を荒廃しているのである。
公務員と言う生存競争のない貴族社会が、教育を荒廃
している事態を見過ごしにはできない。
教育もまた競争の中で切磋琢磨しなければ腐敗する。
教職員公務員制度は廃止すべきである。
立てこもりの子供たちにも、教育機会は必要なのだ。
ただの居場所提供では足りないのである。
優れた教師に知的鍛錬のコーチングを受けられたらど
んなに幸せだろうか。
知識とは、それだけで力があるものだ。
プラグマティズムという短い定規では測れないものだ。
学歴社会批判も、そこを見逃すと片手落ちになる。
教師は優れた社会人であり、かつ、熱心な学習者、研究
者でなければならない。
立てこもりの戦士たちよ、勇気を持って、新しい師を求め
なさいよ!
未来人に知的鍛錬は欠かせないのだから。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
梅士 Baishi