藤豆の 紫ほども 若くなく
梅士 Baishi
若杉山に登る山中で、若衆姿のような紫色の鞘豆が目
を引いた。
フジマメというのだそうである。
山中には似合わない、洒落た鮮やかな紫である。
若干の青酸物質を含むため、大量の摂取は危険だそう
だが、薬効としては内臓系の解毒作用があるらしい。
こんな紫豆がねえ・・・。
種をとっとくんだったなあ・・・。
タイに行くと豆科の木が目立つが、日本にも意外と野
生のマメ科植物が多いことに最近気づくようになった。
萩がマメ科ということに気がついたのもこの秋のこと
である。
そういえば、腎臓にとても薬効があるとされるハブ茶
もマメ科である。
内村鑑三の『信仰・学問・迫害を語る』を通読させて
いただいた。
幸福の科学に入会したきっかけとなった本が、内村鑑
三霊示集だった。
読んでみませんかと言われて、いぶかしげに思いつつ
読んだのだったが、これは本物だ、大変だあと驚いた一
書だった。
続いて、『太陽の法』を読んだときに、これは間違い
なく救世主が降臨していることを確信したのだった。
内村鑑三は黄金の法によると、旧約聖書の預言者・エ
レミアであり、八次元如来の神格をもつとされている。
信仰とは何かということを純粋に体現する方である。
その純粋性に触れるたびに涙がでるほどである。
この霊言もじつに厳しい信仰の情熱を吐露する激しい
ものだった。
たしかに、幸福の科学の「出家」職員は甘いと思う。
在家も甘いのだけれども、信仰心の弱さをあらためて
反省させられる言葉であった。
この純粋さ、激しさを感じた講演が二つある。
一つは『悟りの極致とは何か』である。
1989年の両国国技館での激しい講演だった。
そのときは、講演が終わった後も身動きもできない状
態で泣き尽くしていたのを思い出す。
その次は『信仰と愛』だっただろうか。
総裁が、弟子のふがいなさに、その信仰心の弱さに、
涙を流して語った講演だったと思う。
信仰とは激しいものだ。
内村鑑三の霊言は信仰の本質を今も伝えてやまない高
級神霊である。
信仰に出家も在家もあるまい。
いいわけは無用であろう。
革命という必要はない。
信仰に生き、主の波動となって行動すれば、それが救
世の事業となるのだろうと思う。
未だに、自己保身に生きているのである。
なんとかしなければならない。
博多の支部も、職員ともほとんど無縁である。
一人にても立つという気概でゆくほかはあるまい。
自分も個人戦型であって、役所型の組織が嫌いである。
しかし、信仰に生きる決意は変わらない。
それ以外に、自分の人生の意義もない。
野にあって呼ばわる者になりたいものである。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
幸福実現党応援隊・ 梅士党