本降りの 雨にはまりて じゅかじゅかと
中村 梅士 Baishi
午後から本降りの雨になった。
これなら行けるかもと庇を伝って入り込んだ人気のち
ゃんぽん屋に、案の定、特等席をキープした。
と言っても、床のコンクリートはマグマの後のように
ごつごつとして椅子が安定しない。
しかし、次から次へと客が入り、3階まで満席。
その全ての注文を、おやじ一人が鉄なべをがんがんと
ガスコンロにぶち当てながら捌いてゆくのである。
そのちゃんぽんが、粗雑に見えながら、うまいのであ
る。
しかも、上等の具が入っているわけではないが、580円
だから安い。
食った後、じ~んと眠くなったが、予定の仕事を終え
て職場を出た。
土砂降りだと言う。
さすがに伝家の宝傘を抜いて外に出た。
やっぱり梅雨なんだねえ。
水たまりを避けてケンパタのように飛び跳ねたが、と
うとう水たまりに突っ込んでジュカジュカになった。
アシックス沈没。
明日はミズノで行くとしよう。
東京オリンピックに望むことがある。
1. 台湾という国名での参加を認めること。
2. 北朝鮮の参加を認めないこと。
3. 人権弾圧国家の参加を認めないと宣言すること。
4. メダリストだけではなく、入賞者全員の国旗を
掲げて表彰すること。
5. 過去ドーピングの経歴のある選手の出場を認め
ないこと。
6. オリンピックの聖火を消すことなく、パラリン
ピックに移行すること。
7. 日本政府はアセアン諸国選手団に資金援助をす
ること。
あるスポーツ学の本に、現代のスポーツの特色として、
宗教との関係はなくなったと断言していた。
進化のような言い方であった。
神なきオリンピックというのである。
では、聖火と言うな。
スポーツは神聖な運動競技文化である。
そうでなければ、ただの遊びにすぎない。
仲間と群れて遊ぶことも意義なきことではないが、神
を認めないのであれば、スポーツの根本精神も、教育と
しての意義も見失ってしまう。
日本の宗教観の非常識な見解を恥じるべきである。
スポーツは、神聖な運動競技文化である。
神の前だからこそ、恥ずべきプレイをするべきではな
い。
それが、フェアプレイの精神である。
スポーツマンシップというリスペクトの精神である。
無神論スポーツ観を広げてはならない。
神を認めないナンチャイナオリンピックなど、やって
はならなかったのだ。
そこに、スポーツの堕落が始まっていることに気付く
べきである。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
New Asia Happiness Party