すぶんろこ!のジャパニーズドリーム

■『すぶんろこ』とは、コロンブスの逆転の発想

■日本国独立宣言!「日本国憲法」無効宣言、日本軍再構築宣言!

+ 清い水、神通力を走らせる・・・ 公務員の市場経済原理責任を問え

2009年07月16日 08時02分08秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 清い水  櫛田の神が  走りぬけ    

   馬糞 Bafun

 

 

  

 14日夜、櫛田前の追い山特等席はまだわが手中にあっ

た。

 追い山の神々の走る足音に目が覚めた。

 それも夢の中、今年の山笠は、遠く走り去った。

 

 走り去った後、クマゼミが鳴いた。

 夏になった。

 

 我が家の鬼百合が一気に散ってしまった。

 追い山と共に花を仕舞えるとは、天晴れなことであっ

た。  

 

 

  

 

日本の貧乏神・公務員労組のあつかましさ


 福岡市役所前は市役所職員の共産党政治活動の場所の

ようである。

 盛んに公務員の利権向上が国家の大事でもあるかのよ

うにアジ演説をしている。

 一般市民が市役所前で政治演説をすることは許可され

ないだろう。

 彼らは許可を得ているのかと疑問に思う。

 市役所に出勤する前の準備運動に、掃除ではなく、共

産党活動で、一日の仕事の大半を終えているのであろう。

 

 公務員は労働者ではない。

 労働者とは、市場経済の原理の下に責任を問われなが

ら賃金を得て働いている者をいう。

 労働組合運動が、市場原理を無視すれば、企業に取り

付いた貧乏神か死神のように、企業の生命力を失わせる

ことになる。

 

 労働組合が共産主義ないし社会主義のイデオロギーを

持つこと自体が矛盾している。

 同様に、町工場の親父が、貧乏だからといって、共産

党を支持するのは矛盾しているのである。

 

 日本航空は、市場原理を無視した組合運動で高賃金を

「勝ち取った」結果、会社は財政破綻状態が続いている。

 その会社を税金で支えるというのだが、おかしな話だ。

 

 日本航空は市場経済の原理にしたがって破綻させるべ

きである。

 労働組合を温存したままでの経営建て直しなど、虫が

良すぎるではないか。

 もし、日本航空と全日空が合併したら、労働組合も引

き継ぐ結果となって、共倒れすることになるだろう。

 

 だから、株主も、経営陣も、労働組合も、経営破綻の

責任を取って、退場させるべきなのである。

 公務員についても同様である。

 

 福岡市の公務員は、無責任な出資によって、巨額の損

失を福岡市に累積しているのに、誰も責任を問われてい

ない。

 ベイサイド開発事業、リバレイン事業、博多座、さら

には汚職がらみの人工島建設など、ことごとく大きな損

失を垂れ流し続けてきた。

 

 市場原理の外にいる公務員に市場主義経済を指揮する

資格はないのである。

 それにもかかわらず税金を投入するならば、損失の責

任を各年度ごとに問われるべきである。

 

 市の財政が赤字であるならば、賞与は与えるべきでは

あるまい。

 担当者は連座で解雇等の制裁を受けるべきであろう。

 誰も責任をとらないでは、共産党活動とは何事か!

 

 公務員や日本航空労働組合の責任をあいまいにしては

なるまい。 

                 

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

 

  

 

 

 

 

 

 

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+ 流舁き・・・ 都議選で東京都民は石原都政にNOと言った。  独占禁止法の不条理。 

2009年07月14日 07時42分45秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

  いよいよに  明日走らんか  流舁き

   馬糞 Bafun

 

  

 

 十三日の今日は集団山見せだった。

 追い山の気迫には及ばないが、早朝の激動を日中に体

感できる山場である。

 東京都とは違って、天神といえども、日中はそれほど

人通りが込み合っているわけではない。

 ところが、どこに潜んでいたのかと思うほどたくさん

の人間が集団山見せの道沿いに込み合った。

 

 一番山は名門東流である。

 四番山の千代流までは見たいと、太陽にじりじりと頭

のてっぺんを焼かれながら待ち受けた。 

 そんな激動の集団山見せまで、曳山はじっと時を待っ

て鎮座していたのである。

 

 そのように、時代もまた動くのであろう。

 

 

  

 

都議選で、東京都民は、石原都政にNOと言った


  十二日に行われた都議選の結果は与党自民党が38議席

に対して、野党民主党が58議席、与野党逆転のお粗末な

結果に終わった。

 マスコミの仕組んだ民主党擁護、自民党非難、幸福実

現党無視という大衆操作が選挙に反映した形である。

 

 それにしても、都民が石原都政に反旗を翻す意思表示

をしたことは、残念なことである。

 首都東京の毅然とした政治が影を潜め、東京オリンピ

ックも実現しないことにもなるだろう。

 国難の時代に、左翼社会主義勢力が支配力を高めると

は、まさに、内憂外患というべき状況である。

 

 もう一つ悪いニュースがある。

 殺人容認法というべき臓器移植全面解禁を定めた改正

臓器移植法が参議院も通過して可決成立したことである。

 

 NHKのニュース番組をみると、臓器移植を望む家族の

感激の映像だけを流した。

 人助けの正義の法がやっと成立したという社会主義NH

Kの情報操作番組である。

 

 「大衆」とは、マスコミの情報操作に支配されやすい

政治的教養と主体性のない人たちのことを言う。

 大衆民主主義とは、マスコミが「世論」を操作して政

治的独裁権力となる形骸化した民主政治状況を言う。

 

 日本は、民主主義の終焉というべき大衆民主主義と国

民の半数のアパシー(政治的無関心)という末期的状況

にあるというべきであろう。 

 

 

 

  

独占禁止法の不条理

 サントリーとキリンの経営統合が独占禁止法にあたる

のではないか、などとNHKが「報道」の体裁で文句を言

っているが、国際競争の時代に独占状況でないことは

らかである。

 

 そもそも、独占禁止法の趣旨は社会主義的平等(競争

否定主義)に由来する。

 しかし、本来は、弱肉強食によって競争がなくなると、

発展が止まることになるから、その前に規制しようとい

う考え方であろう。

 

 いずれにせよ、独占禁止法は廃止されるべきである。

 弱肉強食ともみえる生態系でさえ、独占禁止法なくし

てバランスをとっている。

 経済とは、レッセフェールを貫くほうが、官僚社会主

義の規制の弊害よりはるかに勝るというべきだからであ

る。

 

 独占禁止を問題とするのであれば、真っ先に、NHKを

初めとするマスコミの情報独占、情報独裁を制裁すべき

であろう。 

 少なくとも、マスコミに表現責任とマスコミ倫理を教

えてやるために、マスコミ責任法を立法化するべきであ

ると思う。 

         

           

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 博多祇園山笠 十日山・・・ マスコミ独裁政治による崩壊

2009年07月13日 08時00分18秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 鎮座して  鼓動するなり  十日山傘yama

   馬糞 Bafun

 

 

 

  鎮座していた山笠も、十日の流舁きから動き始めた。

 今日は12日、追い山ならし、追い山のリハーサルであ

る。 

  いよいよ、博多は臨戦態勢になった。

 さあ、この流のままに、世間は驚天動地の激動激変を

見るであろう。

 今、神々も動き始めたからである。

 

 さて、その火付け役、博多祇園山笠は三日日余を残す

ばかりになった。

 十一日早朝は祝儀山、十二日は夕方4時からの追い山な

らし、そして、十三日は午後3時半からの集団山見せと、

ボレロの曲想のように次第に盛り上がって十五日早朝の

フィナーレ、追い山から午前6時の鎮めの能でスパッと

終わるのである。

 

 スパッと終わった後、維新の志士たちが吼えるであろ

う。

 かつての学生運動は、いわば追い山ならしであった。

 果たして、現代の若者たちの維新の気概に期待したい。

 

 

 

 

マスコミ独裁政治による崩壊】 

 ほぼ、マスコミの言いなりになるのが「大衆」である。

 都議選の結果は、北朝鮮、チャイナに友好的な民主党

が大勝する「崩壊」というべき結果となった。

 期待の幸福実現党は、マスコミに徹底的に伏せられた

まま、10名の候補全員の落選に終わった。

 

 マスコミの独裁を許しているのが、現代「民主制」で

ある。

 マスコミの不幸商売による情報独裁を許しつづければ、

国家の滅亡が早まる。 

 マスコミは、国益を無視する独裁権力だからである。

 

 マスコミの啓蒙は、政治への不満を煽ることである。

 国政批判によって、国難を招くことである。

 彼らの商品は、不幸な事件である。

 「民主党」こそは、マスコミが包装する不幸商品に他

ならない。

  

 革命の前には、危機が迫り、崩壊が起こるものである。

 しかし、危機が現実となるとき、「大衆」も情報操作

から目が覚めるだろう。

 結局、国民の犠牲は必要となるのだろう。

 それも、国民の自己責任というべきであろう。

 

 維新の歴史に学べば、くじけるわけにはゆくまい。

 「幸福実現党」、がんばれ! 

                

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

 

 

 

※博多祇園山笠

 http://www.nishinippon.co.jp/hakata/yamakasa/2009/schedule.shtml

 

 

 

 

 

 

 

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+ 七夕のボレロ・・・ 神聖芸術論   知事たちよ、独立国家日本の志士であれ!

2009年07月11日 07時47分05秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

  ボレロ聴く  聖七夕tanabata の  鼓動かな


     馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 

  七月七日はめでたい七の日、七夕の日である。

 雨の中を出かけるのは、たとえ近所であっても、億劫なことである。

 その雨の中、滅多になくコンサートに出かけた。

 

 スペイン・ビルバオ交響楽団と競演するギタリスト荘村清志の演奏

に一度は触れておきたかった。

 見事な演奏だったが、それ以上に、飯塚出身だという若手女流バイ

オリニスト南紫音のツィガーヌやカルメン幻想曲の演奏はつややかで

情熱的だった。

 

 そして何よりも、閑散とした星の流れから次第に大銀河の隆盛をたどる

ようなボレロの演奏に、大満足だった。

 なんとめでたい七夕であることか!

 

 近代ヨーロッパに生まれた楽器やクラシック音楽は、日本人にとって

も感銘すべき文化であると認めざるを得ない。

 芸術とはリアルである。

 どんなに素晴らしいアンプ、スピーカーシステムでも、コンサートホー

ルのリアルには到底及ばない。

 生演奏には、奏者と聴衆の緊迫した人間関係が生み出す迫力がある。

 

 こうした演奏の真価とは何か。

 個人の楽しみか。

 評論の技量を上げることか。

 それでは空しい。

 享楽であっては、かつてのレムリアの堕落と同じになってしまう。

 

 芸術の意義は、神々への感謝であり、賛美であり、奉納であると思う。

 そうであってこそ、芸術としての共感があり、感動がある。

 神なき芸術など、ありえないことである!

 

 

 

 

 

  

ブレーンストーミング地方自治Ⅱ


 東国原宮崎県知事や橋本大阪府知事の言う「地方分権」という言葉

に違和感を覚える。

 地方という言葉も気に入らないが、まず「地方分権」ありきという発想

も安易である。

 何のための分権なのか、国政の何を分権せよというのか。

 

 「地方分権」が認められる条件として明らかであることは、次の五つ

である。

 ① 行政縮小、公務員削減の方法であること。

 ② 警察、軍事、教育行政は中央集権化して充実すること。

 ③ 国政の行政効率を高める方法であること。

 ④ 国益に適うこと。

 ⑤ 経済繁栄の仕組みとして考えること。

 

 結局、「地方分権」といっていることは、課税権、予算権を渡せといっ

ているのである。

 守るべきは、土地の文化であり、伝統であり、それを栄えさせたいと

いう希望であろう。

 そのための現場主義的な仕組みとして再構成する必要がある。

 従来の言葉で語られるべきことではあるまい。

 

 

 

 

 

 

知事たちよ、独立国家日本の志士であれ!

 

 今、日本に問われていることは、国防であり、治安であり、教育であ

る。

 「地方分権」はその阻害要因でこそあれ、発展要因ではない。

 まず、そのことを反省すべきである。

 国家が滅びては、「地方分権」でもあるまい。

 

 知事たちが国政に物申すのであるならば、まず一致して、日本の

独立国家としての気概ある政治をこそ望むべきではないのか。

 

 知事は、その土地の大統領として、直接選挙で選ばれた行政の

長である。

 独立の気概では、総理大臣に勝るのではないか。

 そこにこそ、知事連合への期待があることを忘れて欲しくない。

 

 県知事よ、府知事よ、まず、国家独立の志士であれ、と望む。

 

 

                立憲女王国・神聖九州やまとの国

                 梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ クマゼミ初名乗り・・・ だまされてはならない時事問題

2009年07月07日 07時44分21秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

  

 

 

     小暑なり クマゼミ一尾 名乗り上げ

 
     馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 

 唐突にクマゼミが一番名乗りをあげた。

 あ~あ~と発声練習をした後、わしわしわし、と鳴きおうせた。

 『幸福実現党』の辻演説もそんなふうだった。

 やはり唐突に見えたが、やがて、それが当たり前の季節になること

であろう。

 

 

 

 

 

 

 

 今日は縁起のよい七月七日、満月の小暑である。

 あさってには、ついに博多の舁き山が走り始める。

 いよいよ、「歴史的な夏」が走り始める。

 

 今、日本は、世界の最貧国、ならず者政府北朝鮮によって、滅ぼさ

れようとしている。

 そんな馬鹿な・・・、とぼやきながら死にたくはないものだ。

 なんとも腑抜けな日本であることよ。

 それが、世界第二位の経済大国とは・・・。

 

 平氏の滅亡は、最後は見事に戦って時の流れに呑まれたのであっ

たが、現代日本の滅亡は、チャイナに尻尾を振って擦り寄って行った

ところで、その門前の狂犬にかまれて無様に滅亡するという体た

くの図である。

 それが、麻生総理であり、鳩山であり、自民党であり、民主党である。

 飾り山笠にもならない。

 

 勇壮な山笠を見ながらも、嘆かわしいことである。

 

 虎穴にいらずんば虎子を得ず。

 『幸福実現党』の声に、耳を傾けてみようではないか。

 その声は、マスコミから封じ込められている。

 Uチューブと街角で聞いてみることだ。

 いじめられても、いじめられても、へこたれないで、正義を貫こうと

する姿に共感する人は少なくないはずである。

 

 

 

 

 

 

 

だまされてはならない、時事問題・・・ お人よし返上!

 お人よしとは、無防備で身包みはがれる馬鹿のことである。

 お人よしといわれて、喜んではいけない。

 

1. 『北朝鮮が日本に核ミサイルを発射するなんてありえない』なん

てことはありえない。

 専制攻撃態勢を整えるべきである。

 すでに宣戦布告を受けているというべきであるから。

 政府は、国民の生命安全財産を守るべき第一責務を負っている

のであり、国連や、北朝鮮の良識に依存するべきではない。

 

2. 『CO2の増加が地球温暖化を招いている』という根拠はない。

 そんな宣伝を鵜呑みにしてはならない。

 国際政治にあっては先進国の保身、後進国に対する産業抑制であ

り、国内政治あっては社会主義の新型ウィルスである。

 温暖化が始まったのは1850年から、CO2が増加し始めたのは1940

年からだという。

 しかも、その1940年から76年まで一時寒冷化している。

 温暖化とCO2増加に関連性がないことを疑うに十分である。

 

 逆に、寒冷化するよりすごしやすく、温暖化することによって緑地

が増えるではないか、と聞くと、そのとおりだと思う。

 本来、地球の温度は、海によって安定が保たれ、本来寒冷化する

傾向のほうが高いという。

 

 温暖化は、周期的なものであり、9世紀から13世紀までは温暖な時

期で、グリーンランドは緑地だった。

 CO2は植物のえさとして植物には好条件であり、恐竜時代に比べ

るとはるかに低水準だという。

 すなわち、温暖化は食糧増産には追い風だということになる。

 

 こうした指摘を受けると、CO2排出規制から環境税新設にいたる

動きには、政治的な謀略のにおいさえする。

 公害の抑制は必要なことだが、CO2問題とは別物である。

 

3. 『臓器移植改正法案は人助け』なんてとんでもない。

 人を物扱いする生命の尊厳に対するモラル低下の現れである。

 生き返った実例さえもある「脳死」を一般的な人の死とみなすのは

「殺人」容認というべき暴挙である。

 その周辺に、性モラルの堕落、人工妊娠中絶の野放し、日本人の

堕落、腐敗がある。

 

 殺人とは、人の死期を早める行為であるが、臓器を取り出すため

に正当化されることではない。

 臓器移植の前提となる人間観が、唯物論であり、人間を機械とみ

なす機能主義的な人間観であり、生命の倫理を侵害する危険思想

というべきものである。

 人間の臓器を部品扱いするなど、許されることではない。

 

 国家が推進するべきは、人工臓器の開発であろう。

 延命のために他人の死の犠牲を求めるべきではなく、自己責任と

して死を受け入れることこそは正しい生き方であり、潔い死に方であ

る。

 

 ・・・

 ・・・

 潔く、正しくあろうではないか。

 これは、国民の責任である。

 

                  立憲女王国・神聖九州やまとの国

                   梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 鬼百合見開く・・・ 北朝鮮とチャイナの日本占領の暴挙に備えよ!

2009年07月06日 07時51分07秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

  
     鬼百合の 赤鬼の裾 たくしあげ

 
     馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 我が家の鬼百合の花が開いた。

 正真正銘の百合の季節である。

 この鬼百合が花を落とす頃、博多祇園山笠も終わり、すっかり夏に

なる。

 

 そういえいば、明日は新暦の七夕である。

 そして、関東は盆の時節である。

 新暦の盆を受け入れる感覚は、実にまじめな性格なのだろう。

 

 「夏さん」

 「はい!」

 

 元気よく、鬼百合が手を上げた。

 

 

 

 

 

 

チャイナと北朝鮮の侵略の暴挙に備えよ


 マナーと信頼関係と良識をもった人だと思って話をしていると、とん

でもない揚げ足取りの不愉快な応酬を受けることがある。

 同様に、国家についても、最初から対話の信頼関係が成り立って

いない場合に対話路線というのは危険なことである。

 北朝鮮のミサイル演習をただのこけおどしだと見て高をくくってい

るのが日本政府や野党の一致した見方である。

 

 しかし、まさか、日本にミサイル攻撃を仕掛けるなんて馬鹿なこと

はしないだろうというその信頼ほど、おろかで危険なことはない。

 ましてや、オバマ政権は、日本を守る意思がないことを示している。

 日本を守ってやって、逆にチャイナや北朝鮮を敵にまわしても、アメ

リカの危険と損失を招くだけだと割り切っている。

 

 今、日本は無防備の状態である。

 日本を制圧するならば、今を置いてほかにない。

 

 すでに、日本占領の不沈空母となるべき島の目安はつけているだ

ろう。

 小さな島を一個づつ占領してゆけば、やがて沖縄本島、対馬とい

う大きな拠点を占拠することができる。

 日本の住民を人質に取ればなおさらのこと、日本政府は反撃でき

ない。

 相当な賠償名目の身代金をせしめる算段であろう。

 そんなこと、するはずがないという信頼の根拠はどこにもないのだ。

 

 そうしたことを、気概をもった素人集団、新政党の『幸福実現党』が

警告している。

 

 もし、自民党がその警告を受けて、「断固として日本を守る、北朝

鮮に反撃する装備を緊急に整備する、離島をはじめ、防衛上の重

要地域に対する防衛体制を直ちにとってゆく」と宣言すれば、選挙

にも圧勝することができるだろう。

 

 しかし、それはできないことだろう。

 つまらないしがらみが絡まりすぎている。

 老朽化しすぎているのだ。

 

 毅然として、志を持った新生日本の建国を目指すべきである。

 国家とは、かくあるべきものかという理想実現の勇気を世界に示

すべきである。

 日本そのものが、危機とチャンスの緊迫した時節を迎えている。

 

 死に甲斐を生きがいと心得ている者たちよ、死に場所を求めてい

る者たちよ、気概と志に生きている者たちよ、力をもてあましている

武士(モノノフ)たちよ、今、その時が近づいている。

 

 まずは、総選挙で既存の勢力をひっくり返そうではないか!

 戦を始める前の、名乗りのあいさつである。

 日本独立、まずはそこに、初戦の大儀がある。

 

                立憲女王国・神聖九州やまとの国

                 梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 花木槿・・・ 凶悪な殺人法 『臓器移植法改正 A法案』 が衆議院を通過

2009年07月05日 16時50分01秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

  
     馬ならば  食いたくもあり  花木槿mukuge

 
     馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 

 木槿(ムクゲ)の花が満開にさいている。

 いかにも、すがすがしい夏の花である。

 木槿は葵科の植物で、その仲間には、美しい芙蓉のほかに、ハイ

ビスカス、ハマボウ、オクラなどもある。

 

 木槿の花は一日花といわれるが、実際には二、三日咲いているら

しい。

 その白とえんじのシンプルな花姿は、女の子の夏服のようでもあり、

砂糖菓子のようでもある。

 

 馬であるならば、白い夏の風流をパクパクと食べてしまうのではな

いだろうか。

 その姿を思うと、これもまた、風流である。

 

 馬に乗れるわけではないが、馬で旅ができる道があるとよいのにと

思う。

 せめて、阿蘇山地や九州山地で、馬旅ができる馬の道をつくってほ

しいものだ。

 馬は、モンゴルから輸入するとよい。

 

 馬交流、相撲交流で、モンゴルに親しむのはよいことだ。

 いまさら、元寇でもあるまい。

 モンゴルから馬が消えないうちに、天馬の文化を輸入したいもので

ある。 

 

 

 

 

 

 

 

臓器移植の殺人思想

 
 臓器移植法の改正で、「脳死」が一律に人の死と認められ、幼児

を含むすべての年齢で、家族の同意があれば臓器提供できるとい

う法案が衆議院を通過した。

 

 人間は物であり、意識がもどらない役立たずになったら、生ごみな

ので、つかえる部品は他人のために使えるようにしようという考え

方である。

 その生ごみのことを「ドナー」というらしい。

 

 魂の存在を考えたら、殺人にほかならない。

 これを法で認めているのだから、日本は、唯物論国家といってよい。

 

 臓器移植が必要な子供のための募金活動にはファンド並みにお金

を集まるらしい。

 日本人のやさしさなのだろうが、やはり、唯物論の人間観を持った

人が大半を占めていることの表れでもあろう。

 

 しかし、断固、ドナーカードなどに付き合わないことだ。

 

 自分の臓器提供を約束した人は、金縛り状態で、臓器を切り取ら

れるという恐怖体験をすることになる。

 ところが、魂の存在を認めていない人は、死んだらどうせ生ごみに

なるだけなのだから、どうぞ、臓器でも何でも欲しい人がいたら差し

上げますよ、と安易に考えているのだろう。

 その結果、簡単には成仏できないことになってしまう。

 

 「知らぬが仏」は束の間のこと、「脳死」判定が下ったらの整理も

つかないままに、臓器を切り取られることになるのである。

 心臓を切り取られるときの恐怖はいかばかりであろうか。

 

 あの世への旅立ちは、心静かに行かせてあげるのが思いやりで

はないのか。

 

 

 

 

 

 

 臓器移植とは、自分が生きたいために、他人の生きている臓器を

欲しがる人を顧客とする病院ビジネスである。

 生の臓器を手に入れるには、生きている人から臓器を取り出すこ

とになる。

 

 そこまでして延命することが正しい生き方と言えるのか。

 人間が機械だというなら中古人間から部品を取り出して使いまわす

という発想もあるだろうが、それこそがまさしく、臓器移植の人間観

にほかならないのである。

 

 移植を受けて生き延びたとしても、その魂には殺人のカルマが残

るであろう。

 それでも人助けなのか。

 

 ずいぶんと、おそろしい思想が主流となっていることである。

 霊存在としての人間であることを否定し、宗教を軽蔑し、この世の

一回限りの物として生きることを正しいとする根拠はどこにもない。

 単なる思い込みにすぎない。

 一種の邪教である。

 

 魂の存在、天国と地獄の霊界の存在を説いた釈迦やプラトンを「魂

のことなどたとえ話にすぎない」と勝手に改竄し、あるいは、歴史に

残る妄想家だと言うのだが、なんとも傲慢な人間たちであることか。 

 

 他人の死を望むがごとき臓器移植で生き延びるべきではない。

 自己責任として、その死を受け入れるべきである。

 

 臓器移植を行う悪魔的な医者たちは、悪魔の世界に堕ちることに

なるだろう。

 何とも業の深い人たちであることか。

 

 臓器移植を願ってはいけない。

 その死を受け入れよ。

 その魂を汚すことなかれ!

 

               立憲女王国・神聖九州やまとの国

                梅士 Baishi

              

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 雨後の名月・・・ 自衛隊員よ、誇りを持て!  日本を愛する外国人と共に、最強の軍事力を!

2009年07月04日 21時46分07秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

  

 

 

 

 

  
     あじさいの  雨満ちたりし  夜半の月

 
     馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 ふと見ると、月が出ていた。

 空梅雨の月であれば嘆くであろうが、十分に降ってくれた後の月は、

おにぎりのような月でも懐かしく思える。

 恵みの雨に感謝!

 

 さて、今日は、土居流れの曳山が据えられて披露された。

 飾り山はないが、いつも、霊験新たかないい顔をしている。

 伝統のある流らしく、長老たちが昔話をしている姿がほのぼのとす

る山である。

 

 そんな昔語りの姿を見るたびに、もう一度、博多商人の町の繁栄

を作らなければならないと思う。

 その思いが、「九州独立運動」というブログタイトルにもこめられて

いる。

 博多の伝統、九州の伝統を核とした誇りが、独立の精神である。

 

 もちろん、日本は一つである。

 その日本を支える気概こそは、九州としての気概であり、博多の

気概である。

 そのように、因幡の国長州の気概があり、日本文明発祥の国薩

摩の気概がある。

 

 堕落した日本である。

 九州人が大和の国の原点として立ち上がらずして誰が、この国を

守るのか。

 九州は神々と共にある国である。

 その誇りを、忘れて欲しくない。

 

 

 

  

  

 

 

 

自衛隊員よ、日本国民としての誇りを代表せよ


 私は思う。

 自衛隊員こそは、国際標準の日本国民であると。

 なぜならば、兵役を担ったからである。

 そのことに、誇りを持つべきである。

 

 だから思う。

 無駄な大半の公務員をリストラするべきだと。

 民間人として仕事をせよと。

 しからざれば、兵役としての自衛隊員を志願せよ。

 

 そのためにも、自衛隊員の倍増をするべきである。

 しかし、自衛隊といっても、肉弾戦法は主流ではない。

 今は、情報戦であり、ロボット戦である。

 ミサイルが仕事をし、情報工作が仕事をする。

 

 だから、体力が強力でなくても、やれる仕事がある。

 海岸線の防衛網、無人潜水艦、無人戦闘ボートなどのロボット開

発、ロボットオペレーター、軍事報道機関など、知略開発運用の人材

をたくさん必要とする。

 

 無駄な公務員を採用するべきではない。

 無駄な公務員は解雇すべきである。

 国益を損なった公務員は、全員、解雇すべきである。

 

 しかし、軍事公務員は増強すべきである。

 実質的な兵役制度としても、自衛官採用を推進するべきである

のだ。

 

 

 もはや、自民党政権では、この国を守ることができない。

 民主党政権では、日本が植民地になってしまう。

 マスコミの粛清、公務員の粛清をしなければ、けじめがつかない。

 

 マスコミは公器ではない。

 公務員は公的職業ではない。

 既存の政党に、政治のイノベーションはできない。

 

 マスコミから無視され、国民に知られないように抑制されている新

政党、『幸福実現党』以外には、もはや未来への希望はあるまいと

思う。

 

 その奇跡の力を、堕落した日本人たちは恥じ入って思い知ること

になるであろう。

 痛い目にあわなければならないほどに堕落した腰抜け日本人であ

るならば、まもなく、痛い目にあうことになるであろう。

 

 そのときになって、言い訳などしてはならない。

 責任を取って、職を辞し、兵役につくことだ。

 

 日本は、最先進の軍事力を備えることになるだろう。

 日本を愛する外国人と共に!

 

               立憲女王国・神聖九州やまとの国

                梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 博多伊達・・・ 懲りない面々  NHKと民主党の社会主義体質

2009年07月03日 07時05分07秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

  雨降れば 山笠をさし 博多伊達

 

     馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 初日の山笠は雨の中、かさ越しに見上げた。

 雨の飾り山笠もよいものだ。

 博多伊達のそろいの法被も雨色だった。

 

 山笠の主役は、飾り山の人形ばかりではない。

 それを見守る法被姿の山のぼせたちもまた風物である。

 そのいでたちは、そろいの法被に博多帯をきりりと締めている。

 洋服にはない日本の伝統美である。

 

 惜しむらくは、雨にさす傘もまた、浪人たちが傘はりをした和傘で

あればと思う。

 柿渋を引いた傘をさして飾り山を見上げる博多伊達は、ずいぶん

と絵になりそうである。

 

 

 

 

 

 

 

 

懲りない面々

 狂気の北朝鮮キムジョンイル党が、ミサイル3発を発射したらしい。

 「短距離ミサイルなので問題はない」という政府コメントで、あっさり

とNHKのニュースは終わった。

 そのあと延々とタオルで作った帽子の「大ニュース」という扱いであ

った。

 

 あちらもこちらも、懲りない面々が権力を握っているらしい。

 次の権力を、と決めてかかっている民主党は、友愛でゆくらしい。

 その民主党、社会主義は受け入れるが、宗教は受け入れないそ

うである。

 キムジョンイル党に買収してもらってはいかがだろうか。

 

               立憲女王国・神聖九州やまとの国

                梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 千代流布陣する・・・ 神仏を畏れ、敬うべし

2009年07月01日 21時27分26秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

  

 怒涛する  千代の流れが  陣を立て

   馬糞 Bafun

 

  

 

 七月一日、2009年の博多祇園山笠が始まった。

 怒涛のしぶきのように雨が降った。

 恵みの雨である。

 千代流れの舁き山は、愛の兜飾りを立てた直江兼続の

勇姿である。

 愛とはまさに、神仏の心である。

 武人が立てる愛であるならば、それは、正義であり、

命をかけて守る気概であろう。

 現代日本から失われて久しい精神である。 

 

 それにしても、毎年、千代流れの人形師の腕は博多で

一番であろう。

 美しく、躍動美にあふれている。

 今年も、千代の走りが楽しみである。

 

  

 

  飾り山  銀河の雨に  清められ 

     馬糞 Bafun

 

  

 博多祇園山笠は、無病息災を願う祭りである。

 誰に願うのか。

 神仏に願うのである。

 神仏は愛そのものだからである。

 

 しかし、神仏といっても、唯一神ではない。

 神々にも立場があり、役割があり、序列がある。

 軍神、商業神、医療の神、縁結びの神・・・。

 

 それでも、人を愛する卓越した存在である。

 人は、神を誹謗中傷するべきではない。

 神を不都合に思うその理由は一体何なのか。

 支配欲か、罪悪か、嫉妬か。

 

 宗教なき文明はなかったことを、なぜだろうかと考え

てみることだ。

 

 愚か者の分際で、宗教まるごとを冒涜するようなこと

はやめることだ。

 キリストがアメリカ人に命じて原爆を落としたわけで

はない。

 日本の神々が戦ったのは、日本を愛するが故であった。

 

 ただし、偽装された反社会的邪教には注意が必要だ。 

 博多祇園山笠も、神聖な仏神の恵みであることを忘れ

てはなるまい。

  

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

  

 

  

※博多祇園山笠2009ニュース

 → http://www.nishinippon.co.jp/hakata/yamakasa/

 

 

 

 

 

 

 

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