紅淡く 山茶花咲きぬ 山遍路
梅士 Baishi
今朝の気温は10℃。
真冬に比べればまだ暖かいが、いかにも寒そうに風が吹く。
街を行く人たちはコートを羽織っている。
シャツ一枚で走っていると、それがいかにも大げさに見える。
上物のコートは持っているが、着たことがない。
先祖伝来というような鎧のようでもある。
これからのビジネス・スタイルも冬着もスポーティーになるだろう。
健康志向の時代なのだから。
アシックスさん、がんばって。
『江戸の霊界探訪記』という平田篤胤の現代語訳本を読み始めた。
前世の記憶を持つ少年・勝五郎や天狗少年・寅吉の実話である。
神も仏も心もない唯物論では説明のつかない事実が提起されてき
たのである。
ヨーロッパではローマ教皇の支配に抵抗する形で学問や芸術が活
路を得てきたために、仏神を否定する形に変容してきたという事情
がある。
カントの理性哲学も、歴史的所産であって、その賞味期限を過ぎて
いるということのようである。
その難解さは魔女狩り裁判を避けるための暗号化であったと。
結果、現文明は唯物論科学に堕してしまった。
神秘的なもの、神という概念を払拭するものが科学の神髄だとさ
れる。
科学とは帰納法で、実験的に証明される真実探求であると。
結果、心の世界、仏神の世界は、実験的に証明されないとして、
否定するのである。
それは実験の失敗か、実験の無視であって、不存在証明ですら
ないというのに。
それは神に対する反乱、狂信的な悪魔信仰というべきである。
悪魔も霊存在であるが、唯物論を布教する。
そこからイノベーションを起こせるかが、幸福の科学の救世主と
しての働きにかかっている。
大学の教養科目で宗教学について講じる機会があった。
宗教の普遍的な要素として三つがあると考える。
① 人間存在の根拠として神仏の存在を認め、信仰・敬愛する。
② 教義の本質として、自助努力、祈りと反省、利他の愛、霊的
人生観、修行論がある。
③ 霊存在の実験として、霊現象ないしこの世的な奇跡としての
神の啓示や霊言、病気平癒の奇跡などが起こる。
宗教の本質は、人間とは何か、人間は如何に生きるべきかという
法ないし教義であって、霊現象が目的なのではない。
また、利己的な御利益が宗教の目的でも信仰でもなく、むしろ、
使命感にめざめるところに宗教の本質的な目的があるといえる。
結果として、社会生活においても誠実であり、礼節にかなう。
こういう基準で考えると、邪教か否かの判定がつくであろう。
最期に大切なことは、宗教的な寛容が大切だと言うことである。
信仰する神ないし仏というのは、いわば教師である。
正しい宗教は一つではない。
先生ないしリーダーに実力の上下はあっても、その指導には共
通項があるのである。
ユダヤ教とイスラム教の教祖同士がいがみ合っているが、その
上に立つ神に従うべきである。
ミカエルとマホメットである。
キリスト教の偏狭な一神教信仰も反省すべきである。
ましてや人種差別をするとは何事か。
キリストからも距離を置かれていると知るべきである。
イエス・キリスト自身が、エル・カンターレの下にあるのだから。
悪魔は封じるべきであるが、それは善悪の観念による。
善を説く者としては、宗教的寛容なくしては、愛は語れない。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
幸福実現党応援隊・ 梅士党