北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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道の駅展望台

2023-08-18 20:09:12 | 石狩・空知地方

 

何度か立ち寄ったことがある、長沼町の「道の駅 マオイの丘公園」。

駐車場も広く、この時期はドライブで訪れる人も多い人気スポットです。

 

 

1階はショッピングゾーンになっています。

 

 

 

店内を歩いていると、可愛らしいシマエナガがお出迎え。

全て商品ですけどね。

 

 

 

結構あちこちにシマエナガグッズが置かれていました。

シマエナガの目撃数が多いスポットというと、札幌の円山公園が知られているようですが、長沼町にも近い所を流れている千歳川という川の河川敷でも目撃情報が多いようです。

 

 

シマエナガ以外にも、可愛い動物が沢山。

道の駅のショッピングゾーンというと、その町の特産品というイメージが強いと思うけど、こういうグッズが沢山置かれているというのもまた、口コミとかSNSで広められることで、そこの大きな特色として話題を呼ぶんだろうなと思います。

 

 

突然ですが、道外の皆さん、この「行者にんにく」ってご存知ですか?

以前、「発見!タカトシランド」で、トシさんが、ゲストの高橋ユウさんをおもてなしすべく、この「行者にんにく」を使った料理が美味しいお店に向かおうとしたところ、高橋さんはこの「行者にんにく」を知らず、それどころか、「ぎょうじゃ」という発音を聞いて、「(トシさんが)『ぎょうざ』と言おうとして噛んでしまった」と思い込んでしまったというやり取りが流れていたのが印象的だったので、この機会にと思って紹介してみました。

 

 

    

 

画像はフリー写真素材のものを使用していますが、「行者にんにく」とは、5月上旬から中旬にかけて流通することが多いネギ科の植物で、地域によっては、「アイヌネギ」「キトビロ」などと呼ばれることがあります。名前のとおり、にんにくのような、強烈とも言える香りや風味が特徴ですが、一度食べるとクセになる味わいで、私も大好物です。

名前の由来は、高山に生えていたものを修験道の行者が食べたからという説が有力ですが、現在も、滋養強壮に効く野菜として人気が高いようです。

我が家では醤油漬けにして食べることが多いですが、先程も書いたように、香りが強烈なので、出勤前の朝食だったり、誰かと会う直前の食事にはオススメできません。

 

 

再び道の駅のスポットの写真。

この階段の先には・・・、

 

 

タンチョウヅルがお出迎え・・・というのもあるのだけど、ここがゴールではありません。

 

 

そう、屋上に、絶景を一望できる展望台があるのです。

 

 

 

 

今回初めて登りましたが、晴れた日の一面の農村地帯の絶景に心惹かれました。

 

 

ドライブじゃないと来られないような場所ではありますが、道内の道の駅の中でも、オススメ度の高い人気スポットです。

滞在時間の都合上、限られた部分しか紹介できませんでしたが、また行く機会を作って、続きを紹介したいと思います。

 

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岩見澤神社~2~

2022-09-08 20:25:51 | 石狩・空知地方

 

「岩見澤神社」境内散策の続き。

昨日の記事では、「志那事変」と「大東亜戦争」における傷病者を祀る碑を紹介しましたが、こちらもまた、戦争関連の碑のようです。

 

 

中曽根元総理の揮毫による「海軍鎮魂之碑」。

もしやと思って調べてみたら、中曽根元総理は、戦時中、海軍の主計士官を務めていたんですね。

 

 

碑と共に奉納された錨。

戦争なき平和な社会を願う象徴として、大切にされていってほしいものです。

 

 

これまた戦争関連と思しき「忠魂碑」という碑。

日露戦争から大東亜戦争に至る間、祖国の為に尊き一命を拝げて平和の礎となった人たちの功績を後世に伝える目的で制作されたそうです。

 

 

「お百度石」。

「お百度参り」とは、願いを叶えるために、同じ神社に百回参拝することですが、これは、参拝の目印として置かれているものだそうです。

 

 

綺麗な石ですね。

これだけでも何か良い御利益がありそうな気がします。

 

 

 

昨日の記事でも触れましたが、「岩見澤神社」の境内には、六対の狛犬が設置されています。

本殿に近いこちらの狛犬は、穏やかな表情で、見ていて癒される気がします。

 

 

ということで、ようやく社殿へ。

昭和61年(1986年)の創始百周年を記念して、耐火構造の社殿が造営され、盛大に奉祝祭が執り行われています。

 

 

 

社殿の他に、境内社があったので、こちらにも足を。

 

 

「水神龍神」。

稲作民にとって命とも言える水をもたらすとして広く信仰されてきた「水神」と、「八大龍王」として祀られ、旱天に汐水を竹筒に汲んで石祠にかけて雨を祈願したという伝承がある「龍神」。

米作りが盛んな岩見沢地方において、雨や作物の生長を祈願することで設置されたと考えればよいのかなと思いました。

 

 

狛犬と一緒に、寿老人と大黒天が、参拝者を出迎えてくれています。

 

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岩見澤神社~1~

2022-09-07 20:23:13 | 石狩・空知地方

 

 

岩見沢散策の最後は、岩見沢駅からは徒歩15分くらいだけど、中心部と言えば中心部にある「岩見澤神社」へ。

「岩見澤」である点が興味深いです。

 

 

この神社は、明治17年(1884年)から翌年にかけて開拓のために入地してきた山口・鳥取等12県の士帰農者277世帯が、幾春別川という大きな川の左岸にて神祭を行い、同19年(1886年)に小祠を建てたのが始まりとされています。

同29年(1896年)の大火により社殿が焼失するという出来事がありましたが、翌年9月に二代目社殿の上棟祭が挙行され、昭和7年(1932年)には県社(旧制度の神社の社格で、国による「国社」と、地域単位の「郷社」の間の位置づけ)に列格されました。

御祭神は、「天照大神(あまてらすおおかみ)」と、「大己貴神」(おおなむちのかみ)の二柱で、良縁、商売繁盛、病気平癒、出世開運、家内安全、交通安全などの御利益があるとされています。

 

 

 

最近は、神社に行くと、狛犬の表情に注目するようになりました。

 

 

境内には、馬の像も設置されています。

 

 

 

先程も書いたとおり、昭和7年(1932年)は、この神社が「県社」に列格された年ですが、四代目の社殿が造営された年でもあります。

それを記念して奉納されたということなのかな。

 

 

 

全部は写真に撮れなかったのだけど、岩見澤神社境内の狛犬は、全部で六対もあるそうです。

これは表情が見えないけれど、何か秘められた事情とかがあるのかな。そういうのも興味深く思います。

 

 

 

 

馬の像の他に、牛の像も設置されています。

神社で牛といえば、全国の「天満宮」に設置されている、菅原道真の牛車にまつわる伝説を思い浮かべますが、これはひょっとすると、馬と対になっていると考えれば、開拓に貢献した牛馬への感謝という意味があるのかなと思いました。

 

(参考:天満宮の牛車)

 

琴似神社~2~ - 北の風に吹かれて~独り漫遊記~

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他の神社の例に漏れず、ここにも、様々な由来を持つ記念碑が多数設置されています。

これは、「空知聯合青年団」の団員六十余名が、大正9年(1920年)9月16日より十日間、明治神宮御造営の奉仕に従事したことを記念するものだそうです。
 

 

こちらは、「支那事変」及び「大東亜戦争」において、従軍中戦傷病に侵された人々を祀るもので、「戦争の悲惨さを身を持って体験した者として、二度と戦争を繰り返すことのないよう訴え、日本の繁栄と世界平和を祈念する」という思いが込められているそうです。

 

 

こちらは、昭和34年(1959年)12月創立された「岩見沢詩吟会」の創立二十周年を記念するもので、詩歌を研修した同志の魂を後世に残し、未来の夢を碑に託すという思いが込められているそうです。

 

写真の数が多くなったので、次へ続きます。

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炭鉱の記憶マネジメントセンター

2022-09-06 20:15:05 | 石狩・空知地方

 

JR岩見沢駅前の商店街。

今となっては懐かしいとさえ思えてしまうようなアーケード街が広がっています。

 

 

函館駅前の大門地区はアーケードが撤去されてしまったけれど、私はアーケード街は大好きなので、今後も残していってほしいと思います。

 

 

そんなアーケード街の一角にある古い建物。

昭和2年(1927年)の建築だそうですが・・・、

 

 

「そらち 炭鉱(ヤマ)の記憶マネジメントセンター」という施設。

今ブームの「炭鉄港」の文字が入った幟も掲げられています。

早速入ってみましょう。

 

 

ここは、「炭鉱の記憶推進事業団」というNPO法人が運営する施設で、入口から入ると、まずはグッズを販売するスペースが。

 

 

 

少しボケちゃいましたが、奥の方は資料展示スペースになっています。

 

 

 

ここへ行ったのは8月11日だったのだけど、ちょうどその日から、北海道の石炭産業を支えた蒸気機関車の写真展が開催されています。

 

 

 

私は直接間近で見たことはないけれど、「デゴイチ」ことD51の迫力は相当なものがあったのでしょうね。

 

 

 

現在の空知総合振興局管内は、石炭産業によって発展した地域なだけあって、旧国鉄をはじめ、石炭の運搬や、炭鉱住宅街の人々の生活のために作られた路線が多く存在していました。

炭鉄港ブームの一環で、そうした廃止路線の跡地探索に訪れる人も多いようです。

 

 

 

 

 

上の回には、SLをはじめとする様々な模型が展示されています。

 

 

「弁慶号」って聞いたことがあったけれど、アメリカから輸入された機関車だったんですね。

「弁慶」だけでなく、「義経」とか「光圀」、「静」なんて名前が付いていたというのも興味深いです。

 

 

 

三笠市内を走っていた、旧国鉄「幌内線」の「唐松」という駅の旧駅舎。

幌内線の廃止によって、昭和62年(1987年)に廃駅となりましたが、地元有志により駅周辺の整備、駅舎の修復、記念品の展示、看板のかけ替えが行われ、現役当時の雰囲気を今に伝える形で残されています。

 

 

 

 

 

 

 

炭鉱を象徴する施設でもある、この「櫓」が、炭鉄港ブームにあって、多くの人たちの注目を集めているようです。

なかなか現地に足を運ぶ時間が作れませんが、ぜひ一度、どこかの施設を観に行ってみたいと思っています。

 

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岩見沢レールセンター

2022-09-04 16:52:46 | 石狩・空知地方

 

岩見沢駅北口に、何やら大きなレンガ製の建物があります。

 

 

かなり歴史が感じられますね。

 

 

レンガの積み方は・・・、どうやら「イギリス積み」のようですね。

 

 

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壁面には、北海道開拓の印とされている「五稜星」がデザインされています。

これまでも何度か紹介してきましたが、そもそも「五稜星」とは何なのかということに触れていなかったようなので、ここで少し解説します。

 

戊辰戦争終結後の明治2年(1869年)に北海道開拓使が設立されましたが、陸路が未整備であった北海道の開拓を進めるためには、本州と北海道とを結ぶ海運の強化が急務とされたことから、開拓使は、外国製の輸送船を導入し、安定した輸送手段を確保しようとしました。

開拓使所属の外国形輸送船が増えたことで、翌年の太政官布告により、「外国形輸送船には国旗と省府藩旗を掲げること」が定められました。これを受けて、同5年(1872年)1月、開拓使御用掛であった「蛭子末次郎」は、黒田清隆の命令により、開拓使に下記の「北海道旗章立置方伺」を提出しましたが、この中で、北海道の旗とされていたのが、この「五稜星」でした。

蛭子末次郎は函館の出身で、五稜郭の設計に携わった武田斐三郎の門下生であったことから、五稜郭の形にヒントを得て、五つの角を有する星形のデザインを考えたとするのが、「五稜星」の誕生に関する有力説とされているようです。

 

 

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これを受けて同月、開拓使附属船に五稜星の旗が掲げられ、以降、開拓使の外国形輸送船に掲げられていくようになり、明治期に建築された多くの建築物にデザインされるようになりました。

「赤レンガ庁舎」こと「北海道庁旧本庁舎」、中島公園にある「豊平館」、札幌時計台など、現存する多くの建物で、五稜星を見ることができます。

 

 

それでもって、じゃあこの建物は一体何なのということですが、現在はこのとおり、「岩見沢レールセンター」という名称で、現役の工場施設として使われています。

 

 

 

この建物は、明治25年(1892年)に開通した「北海道炭礦鉄道」の岩見沢工場材修場(車両製造と修理のための工場)として建築された施設ですが、この五稜星のマークは、北海道炭礦鉄道の社章としても採用されており、社章として現存するものの中では、これが唯一だとされています。

現在も現役の工場として使用されているこの建物は、明治31年(1898年)9月着工、翌年8月に完成というもので、経済産業省の「近代化産業遺産」や、旧国鉄が制定した、日本の鉄道に関する歴史的文化的価値が高い施設「鉄道記念物」に準ずる「準鉄道記念物」の指定を受けています。

また、ブームになっている「炭鉄港」に関する施設の一つとしても注目されていますが、現在は基本的に外観を見ることができるのみとなっています。

 

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