北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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城とデゴイチ

2009-04-03 21:56:25 | 道外旅行記
ちょっと間が空きましたが、秋田冒険記、再開です。








今回は秋田市内に2泊したのだけど、21日(土)は、秋田から普通列車で約1時間の、横手市へ行ってきました。
21日に何処へ行くかは、実はギリギリまで決めかねていたのだけど、県内でも大きな町の1つで、秋田市内からもそれほど時間がかからないということで、ここに決めた次第。





駅を離れ、中心部を歩いていると、こんな小屋を見つけました。





すぐ近くにバス停があるので、てっきりバスの待合所として作られたのかと思ったら、中に、ご丁寧に(?)「ここはバス待合所ではありません」の貼紙があった。
「じゃあ何のために?」って思ったけど、実際にはバス待合所として使われることが多いのかなと思い、私もここで、目的地へ向かうバスを待つことにした。
待つこと約10分。バスに乗って向かった先は・・・。





そうです。千秋公園の久保田城に続き、またも城へと足を運びました。
「朝倉城」の別名を持つ、「横手城」です。

この城の築城時期は諸説あって判然としていないそうだが、関ヶ原の戦いの当時、城主であった小野寺義道は、徳川家康に西軍方とみなされ、改易された後に、一時的に最上氏の手に渡るも、1602年(慶長7年)、秋田に佐竹義宣が転封されてくると、横手城も佐竹家の所有となり、城代が入れられたとされている。
その後、1620年(元和6年)の「一国一城令」により、現在の秋田市内周辺に当たる久保田藩領でも支城が破却される中、横手城は、ここを重要な拠点と考えた佐竹義宣が幕府に働きかけ、破却を免れたとされているが、やがて江戸時代末期、戊辰戦争の際には、陸奥仙台藩、出羽庄内藩の軍勢による攻撃を受け、1868年9月26日(明治元年8月11日)の夕方、落城した。

現在、この地は公園として整備され、写真の建物は、二の丸跡地に建つ模擬天守閣で、中は資料館になっており、最上階からは横手市が一望出来る。
3月はまだ閉館中だったので中には入れなかったけど、バスを降りてからここへ来るまでは、ずっと上り坂の連続だったこともあり、坂の途中からも、眼下に広がる光景を楽しむことができた。








公園の中には、こんな物も置かれていました。
「D51」。「デゴイチ」なんて、響きからして懐かしいです。

横手市内では、他にも2箇所ほど回ってきました。
その辺は、次のレポにて。
コメント
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