札幌市役所の前に、このような碑が設置されています。
「中央創成小学校の跡」。
これは、この地にあった、歴史ある学校の跡地を示すものです。
元々は、明治3年(1870年)12月、開拓使が官員子弟教育のために開設した仮学校に端を発するこの学校は、翌年10月、正式な校舎を建てて、「開拓使立資生館」という名前となりました。
その後、幾度かの変遷を経て、昭和23年(1948年)に、碑にある「中央創成小学校」となりましたが、同40年(1965年)に、別な小学校との統合により、現在の中央区南3条西7丁目に移転。この地にあった学校は市役所の第二庁舎に転用されることとなりました。
これは校章ですかね。
何をイメージしているのかな。
現在の札幌市役所庁舎。
第二庁舎に転用された小学校の建物は、昭和46年(1971年)、この庁舎の建設に伴い、解体されることとなりました。
冒頭の碑は、それを受けて、解体の翌年に建立されています。
場所は変わって、現在の市役所の地から小学校が移転した南3条西7丁目には、現在も小学校が残っています。
「残っています」と書いたけど、建物は近代的で新しいです。
校名表は撮らなかったけれど(単純に撮り忘れ)、明治4年に開設された学校の名前を採って「資生館小学校」という校名になっています。
とかく地名が付きがちな学校にあって、歴史を後世に伝える名前が付けられているというのは、素晴らしいことだと思います。
その一角にあるのが、「楽聖」と呼ばれた「梁田貞(やなた・ただし)」という人物の像。
開拓使の家庭に生まれ、東京音楽学校(現・東京芸術大学)声楽科を卒業して作曲家となった人物です。
碑に刻まれているのは、校歌ではなく、代表作である、かの有名な「どんぐりころころ」の歌詞と五線譜。
子供の頃から慣れ親しんでいる童謡が、開拓使ゆかりの人物の作曲だったということは、北海道民として、純粋に「へぇ~」という思いがしました。
あまり知られていないのかもしれないけど、こういう形で語り継がれていくというのは、とても貴重なことだなと思います。