またまた「電柱シリーズ」というわけではありませんが、もうすっかり、そこら辺をただ散歩していても、電柱をチェックしてしまう習慣がついてしまいました。
あまりにキョロキョロし過ぎて不審者に間違われることのないように注意せねばと、最近真面目に思うようになりました。
今回気になったのは、この表示。
「正路」。勿論、札幌にはそのような地名はありません。
現場はこちらの道路。
向かって右側がこの表示なのですが、
向かって左側はこのとおり。
「手稲東」というのは、平成元年(1989年)11月に、西区から手稲区が分区されるまで西区にあった町名で、現在の「西町」です。
写真の現場はこちらで、マークの北東側が「手稲東」こと現在の「西町」、南西側が「正路」となっていますが、この「正路」とは人名で、昭和初期、この通りがまだ砂利道で(時代的に舗装の方が少なかったですが)道幅も狭かった頃、沿道に住んでいた「白井正路(まさみち)」という人物が熱心に通りの補修を行っていたそうで、昭和22年(1947年)、当時の手稲村役場が村道の名称整備を行ったときに、白井氏の名前を採って「正路通」と命名し、それが現在でも電柱に残されているということなのだそうです。
人名が通りの名前や町名に採用されるというと、教科書にも載るような大きな功績を残した人物というイメージがあるかもしれませんが、札幌市全体では目立たなくても、地元にとっては大きいと言える功績を残した人物の名前が後世まで残り続けるというのは、大変貴重なことだと思います。
と同時に、このような歴史こそ、もっともっと語り継がれ、様々な場面で取り上げられて然るべきだなと思います。
今、西区じゃなく手稲区で、これと同じような由来があるのではと注目している通りが一つあるんだけど、そこは残念ながら、電柱には名前が表示されておらず、歴史本を開いても、その由来は見つけられていません。
でも、きっとどこかに残されていると思うので、頑張って調べてみます。そのためにも、早く図書館が再開されてほしいです。