久しぶりに足を止めて読んでみた言葉。
中学や高校の社会科の授業で出てきた「ジャン・ジャック・ルソー」の言葉だそうです。
色々な解釈ができるのかなと思うけれど、ぱっと見で浮かんでくる素直な解釈としては、「まずは今日という日を大切にしよう」ということなんでしょうね。
解釈しだせばキリがないのかもしれないけれど、今日という日、言い換えれば目の前の出来事を大切にしない、向き合わないというのは、言い過ぎかもしれないけれど、現実逃避とか、未来を明るいものにするための努力を怠っているなどと言われても仕方がないという厳しい言い方なのかなという気もしてきます。
そりゃまあ、日々色々なことがあるから、時には現実逃避したくなることだってある。私だって、「時には」どころじゃなく「しょっちゅう」だし、それどころか、過去の辛い経験を思い起こして、「あのときあんなことがなかったら」などと、変えられるはずのない過去を自分の中で勝手に変えてしまいたくなることだって、誰しもあることだと思う。
だけど、逃げるのは簡単かもしれないけれど、逃げたところで充足感なんて得られるはずはない。逃げ続けるかぎり、後ろめたさがついて回るというもの。
後々振り返って、「あのとき逃げないで良かった」と思えるような苦労を積み重ねていくことが大事ということなのでしょう。
もうすぐ50歳。人生の折り返し地点を過ぎている(?)けれど、未来は一日一日の積み重ねの先にあるということを、この機会に改めて意識してみようと思いました。
今さらっと書いちゃったけれど、気が付けば、50歳まで、あとひと月とちょっとという所まで来ちゃってます。
誕生日当日にも書くと思うけど、今の自分が過去の積み重ねの先にあるということは分かっていつつも、じゃあ、これまで50年も積み重ねてきたという実感あるかというと、正直ないです。
そんなんでいいのかなと思いますが、ま、自分は自分らしく生きていきますよ。
V.E.フランクルという人がいたんですけど。こう言ってました。
「あなたが何を人生に期待するのではなく、人生が何をあなたに期待しているのかを考えなさい。」
与えられた条件で何を為し得るかが大事なのかもしれませんね。
おはようございます。
与えられた条件で何を為し得るか。奥深い言葉ですね。
初めて聞いた言葉ですが、意味するところをしっかり考えてみたいと思いました。
さ、今日もこれから仕事です。まずは今目の前にあることに精一杯取り組みたいと思います。