佛願寺を跡にして、引き続き石山周辺をぶらり歩き。
次はこちらに行ってみました。
こちらの建物。
会館・・・?でも、何だか駅名表示板のようなものも見えますね・・・。
実はこの建物は、かつて札幌市内と定山渓を結んで走っていた「定山渓鉄道」通称「じょうてつ」の「石切山」駅として使われていた建物です。
「石切山」という名前は、この辺りが、「札幌軟石」という、明治から昭和初期にかけて、主に建設用資材として用いられた石材の産出地で、その採石場が「石切山」と呼ばれていたことから付いた名前です。
この駅は、大正7年(1918年)10月18日のじょうてつ開業時からあった駅で、この建物は、昭和24年(1949年)に竣工。昭和44年(1969年)11月1日の廃線に伴い廃駅となりましたが、昭和51年(1976年)に札幌市の所管となり、現在は「石山振興会館」として、地域に根差した活動の場となっています。
管理している「石山商店街振興組合」の許可を得られれば内覧も可能で、三年前に「発見!タカトシランド」で、タカさんと具志堅用高さんが訪れたときは、たまたま館内に組合員の方がいたので、内部の映像を撮影することができました。
この建物は、「じょうてつ」廃線後、唯一当時の駅舎がそのまま残されているということもあり、平成18年(2006年)に、札幌市の「都市景観重要建築物」に指定されています。
この建物の基礎部分にも「札幌軟石」が使用されています。
って、そのことは、帰ってきてから知ったので、知っていたら、基礎部分をズームした写真を撮って来たのにと後悔・・・。
ということで、この写真を撮った目当ては、写真の白い塔。
火事が多かったんですね。
役目を終えたとはいえ、こうして歴史を語り継いでいくというのも大切なことだなと思います。
駅裏を走る道路は、かつての線路跡だそうです。
「じょうてつ」の痕跡もそこかしこに残っているそうなので、色々と散策してみたいと思いますが、最後に、次の記事に繋がる話を一つ。
旧「石切山」駅からは結構離れている、地下鉄南北線「澄川」駅。
実はここにもかつて、「じょうてつ」の駅があったのですが、開設当初の駅名は「澄川」ではなく「北茨木」という名前でした。
「北茨木」・・・?どういう地名でしょう・・・?大阪に「茨木」という市があるけれど、そことの関係は・・・?