西部地区を巡り歩く「王道コース」の最終チェックポイントは、箱館の開港と言うより、日本の開国のきっかけとなった、あの人物に関連するスポットです。
そう、歴史の授業で習いましたね。「黒船」というキーワードでおなじみ、ペリー提督です。
この広場には、函館出身の彫刻家、小寺真知子さん制作のペリー像が設置されています。
ペリーと言えば、関連する日本の地名としては、断然、神奈川県の浦賀を思い浮かべる方が多いと思います。
歴史の教科書でも、ペリーが浦賀に来港したこと、ペリー来港がきっかけで締結された「日米和親条約」で、箱館(と下田)が開港されたことは書かれていますが、ペリーが箱館にも来港していたという事実は、残念ながらあまり知られていないような気がします。
浦賀を訪れてから約7か月後の1854年1月、再び来日して横浜へ投錨したペリー一行は、幕府代表との交渉で改めて開港を要求し、その結果、同年3月に「日米和親条約」が締結され、箱館は翌1855年3月から、船中欠乏品の補給や漂流民の保護・救助を行う避難港として開港されることが決まりました。
そして、条約締結後の1854年4月21日、ペリー一行が乗艦する「ポーハタン号」「ミシシッピ号」が箱館にやってきました。
ペリーは箱館港を捕鯨船の食糧、燃料の補給基地として活用するため、早速、湾内の測量に取り掛かり、その結果として箱館港を「綱知らずの港」と称賛し、その機能と安全性を高く評価したとされています。
この他、もう一つの開港地であった下田に比べて貨幣率がいいとして、あらゆる品々を購入したというエピソードも残されています。
そんなエピソードを踏まえてなのですが、ここでまた問題を一つ。
この像でペリーが着用している上着ですが、右側の方が、左側よりもボタンの数が一つ少ないですね。これはどういう意味なのでしょう?
正解は、これもお客様に三択問題として出題しようと思っているのですが、箱館よりも先に下見に訪れた下田において、買い物をした際に、下田の人がお金を受け取らなかったそうで、替わりにと、自分の着ていた洋服のボタンをあげたのだそうです。
何とも面白いエピソードだなと思ったので、紹介させていただきました。
ペリーの像が設置されているこの広場は、「元町公園」の下に位置する、旧市立函館病院の跡地で、黒船来航150周年となる2004年に先駆け、地元団体の手によって、2002年5月17日(先程書いた「4月21日」を新暦に換算した日)のペリー来航記念日に合わせて像が設置されました。
開港後、この近くにアメリカ領事館が設置されたということもあって、アメリカとも由緒のある場所としてこの地に像が設置されることとなったとのことです。
広場に面する「基坂」。この先には函館港が見えます。
「綱知らずの港」と称賛したかつての箱館港を眺めながら、ペリーは何を思っていることでしょうか。
「基坂」を下から見上げた光景。
何度か触れてきましたが、私が函館市内で一番好きな眺望です。
ということで、乏しい知識と拙い文章でしたが、西部地区の「王道コース」、全16チェックポイント、これにて制覇です。
実際のガイドでは、このコースを、1時間30分程度で回ることになるため、いかに効率よく回るかが大きな課題となってきます。
戸惑うことも多いだろうけど、自分なりに工夫を重ねて頑張ってみたいと思います。