一昨日紹介した「龍松寺」の近くに、小さな碑と解説板を見つけました。
場所は↑のとおりですが、現在は札幌市豊平区となっているここは、かつて「豊平町」という町だったエリア。
その町の役場があった場所に建てられた碑ということなのでしょうけど、実は以前、こんな記事を書いていました。
この場所から結構離れている、地下鉄東豊線月寒中央駅の近くに、「豊平町役場」があったということを書いていました。
どういうことなのでしょう・・・?と思ったけど、答えは簡単。↑の写真の場所の方が古いんだそうです。
月寒中央エリアへ。
先ほどリンクを貼った記事の場所とは少し離れたところです。
児童会館前にある「とよひらふるさと再発見」の解説板。
ここにも「豊平町役場」の歴史が記されています。
「豊平町役場」の歴史は、明治13年(1880年)、「上白石村」の初代戸長であった「片倉景範」という人物宅に「豊平外4カ村戸長役場」が設立されたのが始まりとされています。
「戸長」とは、明治期に、地方行政区画としての町や村の行政を司っていた、現在でいう市町村長に当たる役職ですが、小さな村が散立していた時代にあっては「〇〇村外〇か村戸長役場」として、複数の村の行政が一箇所に集約されていたということがありました。
明治24年(1891年)に、最初に紹介した碑が立っている地に戸長役場が移転しますが、同30年(1897年)に「豊平外4カ村」が分割されて「豊平村」「平岸村」「月寒村」の三村の戸長役場が発足し、更に同35年(1902年)には、この三村が合併して「豊平村」となりました。
その後は、同41年(1908年)町に昇格して「豊平町」となり、↑の解説板のとおり、同43年(1910年)に、現在の児童会館前に、豊平町役場が移転。昭和31年(1956年)には、↑でリンクを貼った記事の場所に役場が移転し、昭和36年(1961年)5月には、豊平町が札幌市に編入されるという歴史を辿っています。
文章だとわかりにくいので、簡単に表現してみました。
赤丸の場所(冒頭の碑の場所)に明治24年に戸長役場が設置され、黒丸の場所(児童会館)に同43年に移転。更にピンクの丸の場所に昭和31年に移転という変遷となっています。