米町にある浄土宗の寺院・大成寺(だいじょうじ)。
明治15年(1882年)に、三河出身の忍譽徴源(にんよちょうげん)上人が来釧し、松前にあった「正行寺」の仮説教所を開設したのが最初の記録とされる、市内でも由緒ある寺院の一つです。
その境内の一角にある小屋。
通常は公開されていないので、扉越しに一枚。
「庚申」とあります。
これは、「庚申(かのえさる)の日に眠ると、人の腹の中の三匹の虫(三尸(さんし)という)が体から抜け出して、その人の罪過を天帝に報告する。それを防ぐために徹夜をする」という、道教の「三尸説」を母体とした、「庚申の日に徹夜をして眠らずに身を慎めば、早死を免れて長生きできる」という考え方が込められているそうです。
後に、この考え方に、仏教や民間信仰、習俗などが合わさり、治病、大漁、豊作、商売繁盛などの御利益があるとして、信仰の対象となっています。
この塔は、明治22年(1889年)に境内に建立され、昭和36年(1961年)に、新潟県北蒲原郡次第浜出身の「田村友太郎」氏によって、同じ境内の現在地に移設されています。
田村家は、次第浜から釧路へ入漁し、大正時代には底曳漁業の船主となった一族でしたが、「次第浜」って地名、どこかで聞いたような・・・、
ああそうだ、先日紹介した「日枝神社」にも関係のある地名でしたね。
市内のあちらこちらに足跡が残されているのですね。
続いてこちらは、市内の別な場所。
こちらも「庚申塔」とあります。
文字の上に見られるのは、左が「日と雲」、右が「三日月と雲」の絵です。
これは昭和6年(1931年)5月2日に建立されたもの。
刻まれている「講中一同」とは、先程の大成寺と同じ田村友太郎氏と、同郷者及びその一族の人達で、「七庚申」とあるのは、「庚申」の日は、旧暦で年5日~7日あるところ、7日あることを「七庚申」と呼んで喜ぶ風習があったという意味だそうです。
現在は、鳥居と石碑だけになっていますが、以前は、この敷地内に、「菅谷(かんこく)不動堂」という、新潟県新発田市の「菅谷寺」から請来した不動明王(日本最古の不動だそうです)を祀るお堂があったそうです。
釧路にお住まいなのですね。
亡き主人は釧路で生まれました。
幣舞橋のすぐ傍に義母の実家がありましたので子供の頃はよく遊びに行った話は聞いております。
商売をしていました。
懐かしい釧路の方からのフォローで天国でニコニコしているかもしれません。
因みに住んでいたのは私もそうですが子供の頃は音別町です(*^^*)
今は埼玉です。
これからどうぞよろしくお願いいたします。
こちらこそ、初めまして。
管理人の「ナナマガラー」と申します。
何度かお邪魔させていただいた後にフォローさせていただきました。
音別町にお住まいだったのですね。
私は札幌からの単身赴任でして、釧路在住は通算6年目(2002年4月から3年間と、2018年4月から現在まで)ですが、音別町は、まだそんなにじっくりと歩いたことはありませんでした。
行ってみたい場所はあるので、真冬になる前に行こうかなと思っています。
どうぞ宜しくお願い致します。