今日11月28日は、今から140年前の明治13年(1880年)、小樽市手宮から札幌まで、当時の官営幌内鉄道、後の国鉄手宮線が開業した日だそうです。
今朝の朝日放送系「旅サラダ」で、そのことが触れられていました。
そこで、以前から疑問に思っていたネタ。
写真は札幌駅。地元なのに、なんで今まで、ホームで駅名表示板の写真を撮ったことがなかったんだろう(デジカメを購入した平成17年(2005年)まで遡ってチェックしたけど、本当に一枚もなかった・・・)ということではなくて、この札幌駅って、路線上は、「函館本線」の駅になるんだけど、何故「函館本線」なのだろうということ。
こちらは、札幌から更に東へ進んだ、深川市の深川駅。
留萌方面へ向かう留萌本線の分岐駅ですが、ここも「函館本線」の区間です。
そして、北海道のほぼ中心にして札幌に次ぐ第二の都市、旭川市の旭川駅。
ここが、函館から始まる「函館本線」の終点なのです。
なんでここまで「函館本線」は長いのかな・・・。
調べてみたところ、先述した手宮~札幌間の開通以後、函館~旭川の間は、「官営幌内鉄道」、後の「北海道炭礦鉄道幌内線」や、函館~小樽間を整備、運行していた「北海道鉄道」など、幾つかの鉄道会社によって部分的に整備され、開業していましたが、明治38年(1905年)に「北海道鉄道」による函館~小樽間が全通したことで、函館~旭川間がようやく全通することとなりました。
その後「鉄道国有法」という法律が制定され、「北海道炭礦鉄道幌内線」、「北海道鉄道」は政府によって買収されることとなり、明治42年(1909年)10月の鉄道省告示によって、函館~旭川間が「函館本線」と名付けられたそうです。
道都である札幌を経由しているのに、何故「函館」が冠せられているのかということだけど、当時この路線は、明治41年(1908年)に運航を開始していた青函航路(後の青函連絡船)を経由することで本州に通じているということで、本州から海を通じて上陸した函館を出発点として、札幌~旭川方面へ通じている路線であるという理由が路線名に込められていたと考えられるのかなと思います。
そして、その終点が札幌ではなく旭川であるというのは、この路線が、旭川を経由して更に道東、道北へ通じる形になっていたことから、函館~札幌間ではなく、函館~旭川間こそが、北海道の鉄道網の大動脈として位置づけられていたということなのだと思います。
つまり、道都である札幌は、その大動脈の途中の駅に過ぎないということなのですね。
札幌人としてはちょっと寂しい気持ちもしますが、もしかすると、かつて函館の人達が、札幌方面のことを「奥地」などと、蔑称のように呼んでいたということとも関係あったりして・・・。
幣舞橋からの景色やこれからの季節の大変さなど懐かしく思い出しながら拝見させていただいております。
今回の鉄道の話、元道民としても知らない事が多く参考になりました。また「奥地」との蔑称‥。私も札幌での学生時代、函館出身の友人宅に遊びに行った時に友人の祖父に「どこから来た」、「札幌からです」、「ふぅん奥地か」とのやりとりを思い出し懐かしくなってしまいました。
釧路はたまに帰省する度淋しくなって行くなと感じていますが、釧路にお住まいの限りこれからも釧路での生活や情報を掲載していただけると嬉しく思います。また立ち寄らせていただきます。
はじめまして、コメント有難うございます。
管理人の「ナナマガラー」と申します。
釧路ご出身でいらっしゃるとのことで、拙ブログが、懐かしい思い出を呼び起こすきっかけになっていることを嬉しく思います。
釧路は年々寂しくなっている感が否めませんが、こちらにいる間は、できるだけ散策の時間を作り、新たな発見などしていきたいと思っていますので、今後ともどうぞ宜しくお願い致します。