今日も、場所によっては30℃を超えている札幌。
朝方雨が降り、日中も不安定という予報でしたが、今のところ、晴天を保っています。
今週も蒸し暑いのかなあ・・・。
ということで、今日は昨日に続き、札幌テレビ塔関係で新たに判明した話題を一つ。
またまた、○×クイズでいきます。
「札幌のテレビ塔は、大通公園にある」(○か×か)
「何を当たり前のことを言ってるの?」と思われるかもしれませんが、これ、○だったらわざわざ問題にする意味が全くないですよね。
そうなんです、昨日話題にした、「テレビ塔の正面」について調べているうちに、大通公園を管理されている、「公益財団法人 札幌市公園緑化協会」さんのHPに、面白いことが書かれているのを発見しました。
こちらを御覧ください。大通公園の面積と延長に関する部分に何と書いていますか?「テレビ塔を除く西1丁目から西12丁目」とありますね。
そうなんです。テレビ塔があるのは、行政地名でいう、「札幌市中央区大通西1丁目」の一部であり、大通公園とは範囲が重複していないのです。
長年、それが当たり前だと思っていたことをものの見事に覆されたという経験、皆さんも色々とおありかと思いますが、私もこれを知ったときは、本当に衝撃でした。
つまり、現地で説明すると、こういうことなんだと思います。
この赤線より向こう(実際はもう少し余裕があると思うけど)が大通公園で、手前の階段部分は、テレビ塔の一部ということで、公園の区域ではないということなんですね。
大通公園の歴史は、明治2年(1869年)に北海道開拓使が置かれ、開拓判官「島義勇」が碁盤の目状の区画を構想したことに始まるとされています。
このとき、東西の基軸となったのが現在の創成川で、南北の軸は、後に大通公園となる、当時「後志通」と呼ばれていた通りでしたが、明治4年(1871年)、中心部を北の官庁街と南の住宅・商業街とに分ける大規模な火防線がつくられました。この火防戦が、現在の大通公園ということになるのですが、実際には、西1丁目のエリアには、現在は中島公園にある「豊平館」があり、西2丁目のエリアには、明治43年(1910年)に「札幌中央郵便局」が完成したことから、長らくの間、大通公園の東端は西3丁目でした。
こちらを御覧ください。
右は現在の地図、左は昭和25年(1950年)の地図ですが、左の赤で囲っている、大通西1丁目と西2丁目の範囲は、西3丁目以西よりも区画が大きく、公園の範囲に含まれていないことが分かります。
この頃、西1丁目には豊平館、西2丁目には、マークでも分かる通り、札幌中央郵便局がありました。
その後、昭和32年(1957年)に札幌テレビ塔が完成し、翌年には、豊平館が中島公園に移築、同36年(1961年)には、札幌中央郵便局も移転という変遷を経る中で、大通公園が西1丁目~西2丁目へと範囲を広げたのは、同43年(1968年)のこと。
つまり、テレビ塔の方が先にあり、大通公園の方は、テレビ塔と重複しないところまで区域を広げたということになると見てよさそうですね。
ということで、冒頭の問題の答えは、「×」。
アメリカ横断ウルトラクイズ風に言えば、福留さんの「×の皆さんおめでとう!バンザーイ!」という声が聞こえてきそうです。
面白かったです。
知らない事って多いですね。
丁寧に調べて下さり、ありがとうございます!
ありがとうございます。
自分で言うのもなんですが、今回は、調べてみて「面白い」と思えるようなネタでした。
これからもこういうネタを多く発掘したいと思います。