夕食は17時15分と18時。幸いなことに前半の部。入口には大勢が並んでいた。
メインディッシュがチーズ入りハンバーグ。美味しかった。ご飯、味噌汁おかわり自由。
食事の途中からオーナーの赤沼健至さんの登山ガイドの話が始まった。
良い気候、好天気に皆さんをお迎えすることができうれしい。山荘は今年で93年目を迎えた。この建物は昭和9年建造された。
材木はすべて担ぎ上げられた。一番重かったのは発電器の150kgだったと聞いている。私が担ぎできたのは90kg。
歩幅が広いと足が上がらない。山登りのコツは歩幅を短く、段差を低くおさえる。
昭和40年代は食料米を持参してもらい、その量によって宿泊料金が決まった。今はヘリの世話になってるが‥
登山者にお願いしたいこと。
自然のままが基本、石も葉っぱも動かさない。
ゴミは持ち帰る。心ない登山客が与えた餌(ゴミも含む)によって雷鳥が絶滅してしまった。
主稜線上はストックは使わない。(2500mの森林限界以下ならいいが‥) 登山ルートをはずして歩かない。強い風雨により地形が変わっ
てしまう。
ヘルメットを着用する。登り優先。
汗をかかない。ゆっくりペースで。
雷鳥のことだが、6月上旬に卵を生み始め、2日おき位に生む。餌が少なくカルシウム不足だから毎日生むわけにはいかない。
卵は羽の中に抱え込んでいるが、羽化させる時期にはお腹の羽をむしり取って地肌で温める。
7月には雛を見ることができる。
雪崩が無いので山荘は11月24日まで宿泊可能。ぜひ訪れてほしい。
このあと、ホルンの演奏を披露してくれた。
高所で吹くのは大変だと思う。素晴らしいメロディー。大きな拍手を送った。
このあと、サンセットを見守る。槍ヶ岳も間もなく闇のなかに。
サイドの壁が板で仕切られているルームは快適だ。出入り口はカーテン。二人部屋。
奥には棚があり、荷物が置けるようになっている。小窓があり、街の明かりがきらきら。
星空観察にも挑戦してみた。戸外に出る。ひんやりした。
闇のその中で、一人の女性が電話でやりとりしていた。御嶽山の噴火の出来事らしい。
二年前に登った御嶽山だが、どの辺りで噴火したのか不明だったので、通話が終わった女性に話かけてみた。
なんとその女性は、御嶽山から下山してきたところを取材され、27日にNHKテレビで放映された飯島町の登山ガイドのOさんだった。
まさか、まさかの登場。27日の昼に噴火に遭った方が、10人の女性グループのガイドとして燕岳に登り、燕山荘に居られるとは。
右大腿部は飛んできた岩でクロネ状態だという。
彼女のプロ魂に驚いてしまった。
(信濃毎日新聞10月2日付朝刊で紹介されていた)