龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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運転代行屋さんと「出家したい」が口癖の友人のこと

2009年12月08日 22時33分02秒 | 社会
職場の部署での忘年会があったのだが、すっかり忘れて残業していたら、上司から携帯で連絡が入った。

たぶんあいつのことだから忘れているのでは、と心配されたらしい。
当たっていました(笑)。

慌ててお客さんとのやりとりを切り上げて車で直行。田舎は運転代行というものが常識だから、つい飲んでしまう。

酒飲みは平日ゆえ一次会で切り上げ、代行を拾ってアパートへ。

「忘年会ですか?」「ええ」「いいですね、忘年会をやれるっていうのは」

なんだか日曜日の床屋の親父さんの会話が再現されそうな気配であった。

景気はどうですか、いやー悪いねぇ、というたぐいの話題は、今どきの定番なのだろう。新規大卒の就職率の低さから事業仕分け、そして日本の人材育成の問題、年金あたりまでしゃべったところで家に着いた(^^;)。

定番の、当たり障りのない話題だが、「忘年会」ができないってレベルの話は今までなかったぞ、やっぱり。床屋さんの話のように収入1/3という話も初めての経験だ。

不況、不況とばかりいっていては、これからどこかに「好況」がやってくるかのような幻想を招き寄せてしまうという躊躇いは抱く。しかしまあ、景気は良くはあるまい。首にはならないものの、収入はほんとうに少なくなっている。

副業もままならないとすれば、ぼやくだけでなく、どんな満足感をどこで抱けばいいのか。真剣に生活改善というか、生き方の見直しというか、処世術レベルではない世界観の書き換えというか、人生の攻め直しというか、そのあたりを考えなければならないような気がする。

最近、はちゃめちゃ冒険家高野秀行という人の本を立て続けに読んでいるのは、むろん逃避といえば逃避だが、「今」いる場所を相対化しなければ生きづらくてしょうがない、という自然な心の要求かもしれない、とも思った。

友人の一人の口癖に「あ~出家して~」というのがあって、聞くたびに苦笑するのだが、最近私の心の中でリアリティが増してきている。出家など、不自由だった身分制度の中での限定的装置だとしか考えていなかったが、源氏物語の紫式部が、源氏に出家を止められて具合が悪くなる件などを最近読むと、リアルすぎてどきどきする……のだが、それは古典フェチだろうか。