龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCの応援、ソロキャンプ、それに読書、そしてコペンな日々をメモしています。

息子が来た

2009年12月23日 14時41分50秒 | 教育
息子が卒論を終えて帰省してきた。帰省と言っても実家ではなく、単身赴任の私のところに遊びに来たのだ。

私が新しく買ったPS3のソフトを届けがてら、卒論終了の息抜きに。

週末は温泉にいって10割蕎麦をたぐり、酒飲みをして一緒にゲームをし、文学談義を交わす

年の離れた、気心の知れた友人とのひととき、のようだった。

ということは、「普通」の親子の関係とは違う、ということでもあるだろうか。
友達ではなく、友人ってところがポイントなんだけどね。

ヤツも私も、頑固で人のいうことを聞かない。そのくせ周りのことばかり気になる。

どんな性格であれ、親子なんだから(環境&遺伝子の共有)似ていてなんの不思議もないのだけれど、家族っていうのは似ていると同時に人間関係ないのポジショニングの必要上、対抗的だったり対蹠的だったり、反対に大きく振れることも少なくない。


そういう意味(どういう意味だ?)で、そのスタンスの共通性と差異をいちばん近いところで検証できるのは、もしかしたら親子なのじゃないかなあ。

まあ親子関係なんて、自分たちには最後まで分からないのかもしれないけれど。 とにかく楽しい週末だった。
家族だからといってわかりあえると思うなよな、というのが基本スタンスであることは、家族全員が共有している。そういう意味では「ことばなんていらない」家族よりはよほど「孤独」なのだろう。
でも、言葉にすることで生まれる距離を自覚できない「家族」も辛いだろう。距離を自覚できないことは、一体であることとは違うから。

不幸になっても言葉にしたい、という衝動は、いくぶんか「確認小僧」的症例でもあり、それは自閉的な自己の組み立て直し作業、にも似ている。そういうお互いの「飼い慣らし」を、家族同士の言葉のやりとりで行っている、ということもであるのだろう。

「家族とそんなに話すことがあるのか」