龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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福島から発信するということ(36)

2011年09月21日 17時39分30秒 | 大震災の中で
ブログの更新頻度が週1ぐらいに落ちている。
誰と競争しているわけでもなし、締め切りに追われているわけでもない。
だが、毎日日記をつけるように、呼吸するように書いていこう、と思っていた場所から少しずつ「ずれ」てきているのだと思う。

一つは疲れ。
もう一つは日常への復帰。
さらには、不安定の中にさえ「バランス」を見いだしてしまう性向。

そんなことが理由としては考えられる。

今職場は、日常への復帰を急いでいる。
3月11日以降、校舎が立ち入り禁止なってから丸5ヶ月以上、イレギュラーな状態を強いられてきた。
ようやく8月下旬から仮設の建屋ができ、ここでこれから数年は過ごすことになる。
なにはともあれ住み家(すみか)がまた、出来たわけだ。

となれば、今までは「罹災」した「被災者」だったけれど、これからは「普通」の「日常」への復帰を急がなければならない、ということになる。

復興か復旧か、新天地で職を見つけるのか、避難場所から元の家に戻れるまで待つのか、我々よりもずっと深刻な事態の中で大震災(および原発事故)の被害を被った人達は、今なおそういうところで苦しみ、迷い、鈍い痛み(半年経ってしまうとどうしても痛みは鋭く付きささるばかりではなく、広範囲に広がり、鈍く人の意思を根底から挫くようにまとわりつき始めるものだ……)を抱えているのだろう。

「我々は仮設校舎があるだけまだましだ」

間違いなくそうは思う。いろいろ大変なところと「比較」すれば、それは十分すぎるぐらいの環境だ。
でも、本当は「そうじゃない」ことも知っている。

心はもともと、そんな風に「比較」によって世界を半分で生きるようには出来ていない。
わがままだ、というより、世界像全体を自分の中に抱えていなければ、人は人間としていきられないのだ。

自分より大変な人のことを考えて、我慢したり、衝動をコントロールしたりするのは「大人」の振る舞いだし、それはある場合には「美徳」であったり、「常識」であったりもするのだろう。

でもね。

この震災は、そういう「美徳」や「常識」でカバーできるような小さい規模のものじゃない。
単なる災害規模の話ではない。ここでは精神に与えるインパクトの規模のことを言っている。

言うまでもなく、模試の成績だって下がっている。1年間で微細ながら成績が上がってきた分は全部吐きだした(笑)。
授業を集中して受けることができているのかどうか、すらおぼつかない生徒もいる。

だからといって、「普通」や「常識」や「規範」を振りかざせばいいってものでもないだろう。
震災前が平常時で、震災後が「異常な事態」だというなら、福島ならずとも、もはやその「平時」は遠い昔の出来事になってしまっているはずではなかったか。

一見、平穏が戻ったかにみえるこの「世界」も、世界像の根底は(哲学的な意味で)大きく不可逆的な変容を被ったとみるべきだろう。

だが、職場でそんなことを言っても、
「また哲学ボケがなんか呟いている」
ということにしかならない。

ま、そりゃそうだ。

そんなことは当たり前といえば当たり前である。
でも、自分がだんだんそこから「ズレ」ていってしまっているのも隠蔽しがたい手応えのある「事実」なんだよね。

さて、ではどうしよう。
ありもしない日常=「平時」への復帰など、私の仕事ではない……のはいいとして、じゃあどうするつもり?

一人で山に穴掘って隠遁して暮らす衝動に、身を委ねる勇気もない。
ただ、震災後に抱えた「初期衝動」を反復していくことは続けようと思う。

そうか、それがここに書き続けることに意味、でもあったのだ。
震災を負の「お祭り」のように捉えるだけでは足りないのだろう。
回復を目指す日常の「仕事」群の中で、自分が間違いなく感じた「人為の裂け目」の「闇」に対する印象と、そこから何を求めて動き出しをするのか、という最初期の衝動を、改めて考えておこう。

何か特定の行動をすればいい、というものではたぶんない。
でも、この「疲れ」もまたその「最初期の衝動」と無縁だ、というわけではないのだろう。
日常を回復するのではなく、日常を反復しながら「ズレ」を表現の回路に結びつけるための努力。

もしかすると、当たり前に今までやりたかったことを、むしろ後回しにせずに始める必然性を与えられた、のかもしれない。