龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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ベテラン教員すり減る意欲(朝日新聞より)

2011年09月27日 00時16分27秒 | 教育
9/26付けの朝日新聞社会面に、国際労働研などの調査結果(1万人対象)が出ていた。
そのタイトルが「ベテラン教員すり減る意欲」だった。

オレのことか、と思った(笑)。

特に50代の男性教員出、働きがいの劣化が激しいのだそうだ。
その通りである。

まあ、難しいことを考えるまでもなく、私の40代前半の同僚体育教師が
「定年65歳とかいっても、体の利かない老体育教師が、クチだけで生徒に体育を教えられると思います?」
と呟いていたのが象徴的だ。

いろいろ体裁を取り繕って「ベテラン教員のあり方の多様性を模索せよ」なんて言ってみることは可能だが、ま、正直教員は定年を下げた方がいいんじゃないか、と思うことさえある。

でもね、きっと、それは話の半分でしかない。

大人の男が生き甲斐を感じられないバランスって、どういうことなんだろう。
教師を30年もやっていると、まともな大人じゃなくなるってこと?
もしそうなら、そんな職場って問題じゃない?

いや逆に、男を50年もやっていてなおかつ年の離れた子ども達と第1線で生き生きと仕事ができるためには、特別な才能が必要なのかもしれない。

疲れて当然だよ……。

真面目な話、50代は難しい。

現場作業員としての教師能力が低い者は、管理職にでもなるしかない、とつくづく思う。

40代まではその場の体力と気力、感覚で仕事はやっていけるけれど、50代になったら、本当の知性の蓄積が必要だ。

昔、50を過ぎたら予備校の講師は一線級を退くっていう話をきいたことがある。
客が急速に離れるのだそうだ。
たぶんそれは仕方がないこと。

世阿弥も言っている。
50代になったら、演じないことより他にない、と。

枯れていくことを怖れまい。
失うことを怖れるから、守りに入って意欲の減退に繋がるのだ。

おそらく、困難それ自体は別に意欲を削ぐわけではない。
体力だって本当に低下するのはもうちょっと後だろう。

今までやってきた蓄積が通用しなくなる。それが辛いんだね。

たぶん一般企業だって同じじゃないかな。
窓際、出向などの肩を叩かれるトラップは、どこにだってあるだろう。

それでもなお現場に立って現役でいたい、という「格好をつける」ヤツだけが残っていけるサバイバルが、50代の教育現場なのだと思う。

むしろノウハウに不足のある20代の方がこの仕事はやりやすい面だってあるのかもしれない。
いつも育つのは生徒と一緒だからね。

何か出来上がったものを生徒に与えようとした瞬間、生徒は離れていく。
そういう意味ではある種の「動物性」を優れて生徒以上に保持できる者だけが、サバイバルできるのかもしれないね。