『水曜どうでしょう』のDVD15本、大人買いをした。
毎日、通勤の車で副音声を聞いている。
すると、生活に「すきま」ができた。
どうでしょうはクラシックとリターンズでかなり見ている。
この番組は不思議な魅力があって、何度見ても飽きない。
なにより生活の「すきま」をそこに作ってくれる働きがある。
生活の「すきま」。それは「ムダ」といってもいいような時空だ。
どうでもいい時間。どうでもいい空間。
生活とは微妙に「スリップ」した(遊離というのとはちょっとちがう)、空転する媒介者。
そういうものが、私達の生活の中には決定的に不足していることが、これを見ていると(聴いていると)分かってくるのだ。
そう、野矢茂樹の『語りえないものを語る』が『水曜どうでしょう』と似ていると書いたのは、全く根拠はないが、まんざら実感がないわけでもないのである。
その「スリップ」感を確保する「タメ」って、本当に今大切なんじゃないかな。
少なくても、私にとってはそこが一番のポイント。
毎日、通勤の車で副音声を聞いている。
すると、生活に「すきま」ができた。
どうでしょうはクラシックとリターンズでかなり見ている。
この番組は不思議な魅力があって、何度見ても飽きない。
なにより生活の「すきま」をそこに作ってくれる働きがある。
生活の「すきま」。それは「ムダ」といってもいいような時空だ。
どうでもいい時間。どうでもいい空間。
生活とは微妙に「スリップ」した(遊離というのとはちょっとちがう)、空転する媒介者。
そういうものが、私達の生活の中には決定的に不足していることが、これを見ていると(聴いていると)分かってくるのだ。
そう、野矢茂樹の『語りえないものを語る』が『水曜どうでしょう』と似ていると書いたのは、全く根拠はないが、まんざら実感がないわけでもないのである。
その「スリップ」感を確保する「タメ」って、本当に今大切なんじゃないかな。
少なくても、私にとってはそこが一番のポイント。