龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCの応援、ソロキャンプ、それに読書、そしてコペンな日々をメモしています。

ガソリン代の高騰と燃費の比較。

2012年03月08日 21時58分28秒 | ガジェット
普通のガソリン車を購入したら、とたんにガソリン価格が上昇しはじめた。

憂鬱な話だ。

一説には「現行プリウスはトータル燃費20km/lを下らない」とも聞く。
http://kuru-ma.com/toyota/prius.html

近いワゴンタイプでいえばプリウスαも東京→福岡1000キロの高速走行で約20km/l。
http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/column/20120307/1039948/?ST=life&P=7

高速中心だとこの程度だが、どちらも街中だと燃費がた落ちのガソリン車に比べてさらに有利、ということになるのだろう。

燃費は運転の仕方、使い方、道路状況に因るので、一概にどうこう言えないが、実質燃費8万キロで11km/lジャスト(ハイオク)のロードスターを運転する身としては気になる。

加えて新規購入したレガシィの燃費も大いに関心事だ。

レガシィは街中渋滞気味だと6km/l~8km/l、高速巡航だと13km/l~15km/lぐらい。
一部ワインディングを含む長距離高速中心
東京~東北道~那須~日光~関越道~東京のコース500キロ走って11.7km/l
http://ecocar.autoc-one.jp/nenpi-review/351699/

現行ロードスターと1km/lも違わない。やれやれ。レガシィの方は、レギュラー仕様だからその分ちょっと違うだけだ。

現在レギュラーガソリンが1リッター142円ぐらい。

走行年間15000キロとすると
       使用燃料 ガソリン代
レガシィ  1282 182,051円
プリウスα 500     105,750円

その差年間約7万6千円。同僚が買ったプリウスαは乗りだし価格が私が買ったレガシィより40万近く高かったから、6年弱で追いつかれるぐらい。

おお、思ったほどの大差じゃかった(ほっ)。

レガシィの購入目的は高速ロングツーリングが主体だから、快適性と運転の楽しさを考えるとそれほど愚かな選択でもなかったか。

それにしても、全く関係ないジャンルで絶対購入しないものなのにどうしても気になってしまう。

「燃費」というイメージの持つ力は強大だ。

さてでも、2012年春現在、本気で燃費を考えるなら、

軽自動車か、HV車か、欧州で人気の新型ディーゼルか、ほぼこの3つしか選択肢はないと思う。
http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C93819696E3E4E2808A8DE3E4E2E0E0E2E3E09F9FEAE2E2E2

走行燃費と車体価格でいえば、HVではフィットシャトルHVがベスト。

同僚が買ったFITシャトルHVは、既にしてレガシィより乗り出しで60万安いから、最初から勝負にならない。

新型ディーゼルでは間違いなく本命はマツダのCX-5に搭載されているスカイアクティブディーゼル。

カタログ値と実質燃費の差がほとんどなく、軽油のコスト差まで考えればランニングコストはプリウスαに勝つかも。
HVは渋滞の時に燃費がすごくよく、むしろ距離の稼げる高速で意外に燃費が伸びない。

今時のガソリン・ディーゼル車はオートマのプログラムがすごくよくなっていて、実燃費はそんなに(高速道路では)HVと変わらないのだ。

マツダはこれ、ヒット商品になるかもしれない。

日本人のディーゼル嫌いがどこまで解消されているか、興味深いところ。補助金とかなんかを考えると、280万円ぐらいで手に入るらしい。オーディオ分値引きしてもらえるぐらいだと、本当にお値打ち。

でも、結局トータルコストでいえば新型の低燃費軽自動車が圧勝かな。

売れるわけです。

さて私は、むしろ積極的に「運転する贅沢」を味わわなくちゃ!


アニバーサリーリアクション

2012年03月08日 20時47分41秒 | 大震災の中で
職場で、「アニバーサリーリアクション」の危険があるから注意してほしい、という連絡があった。
そう言われるまでは考えていなかったけれど、3月になってから、このブログ更新がとどこおっている。
意識しないうちに、回避=逃避モードに入っていたのかもしれない。

音楽とクルマに関心が行くっていうのは、そういうことかなあ。

父親の一周忌の「人寄せ」をお彼岸に内輪でやるのだけれど、はっきりした葬儀をせずに、身内のお通夜と読経だけで見送った区切りのつかなさは、これもまた微妙な陰影を醸し出しているような気も、する。

いや、だが一方では、「区切り」ってなんだろう、とも思うのだ。
震災前と震災後、父親が死ぬ前と死んだ後で、

「何も変わっていない」
と思う自分と
「取り返しがつかぬほど別のところに来た」
という思いとが交錯し続けている、ような気もする。

「アニバーサリー」というけれど、それはもちろん、季節感などという具体的なものとは別に、社会=人間があるスパンで物事を考えるその切り分けの身振りに依拠することで作り出された「時空間」での話だ。

半分はそのサイクルに沿って「私」は確かに生きているけれど、そういう「サイクル」こそが裂け目を帯びたのが、そのときだったとするなら、1年後のその日に向けて「盛り上がる」ためには、いささか「素直さ」が底をついていると言わねばなるまい。

今はむしろ、少し休もうと思う。
気持ちを休めて、忙しい年度末&年度初めの仕事をこなしていこうと思う。
喧噪をやり過ごしたら、また、ここで考えていくことにする。

たぶん、何もしないで普通にしていることに、既に「疲れ」を感じているのだ。

このまま無気力になるわけにもいかないから、最後の武器である「多動児的」なる身体反応にお出ましを願って、しばらくその辺をうろうろしてみるつもりです。

でも、だんだんゆっくりじっくり腰を据えて「仕事」をしなければならない時期になってきているとも思う。