ジブリのPR誌『熱風』二月号に載った國分功一郎氏の文章が、彼のブログに再掲載されました。
興味深い内容なので、よろしかったら。
個人的には今週末の朝日カルチャー対談講座
『様々なドゥルーズ 千葉雅也×國分功一郎』
の予習にもなったような感じがします。
詳細は
國分氏のブログ
http://ameblo.jp/philosophysells/
を参照いただくとして、
パーソンズの
インストゥルメンタル
(ある物事をツールとして用いて、何らかの目的を目指す状態)
と、
コンサマトリー
(ある物事それ自体を楽しむこと)
という概念を対比させつつ、デモの目的は実はスローガン的なものの主張だけじゃなくて、デモそれ自体が秩序の外側に触れていることをしめしています。
(引用開始)
もちろん、デモにはテーマがあるから当然メッセージをもっている(戦争反対、脱原発…)。しかし、デモの本質はむしろ、その存在がメッセージになるという事実、いわば、そのメタ・メッセージ(「いつまでも従っていると思うなよ」)にこそある。このメタ・メッセージを突きつけることこそが重要なのだ。
(引用終了)
そして面白いのは、そのコンサマトリーな側面の重要性を指摘し
(引用開始)
古市は、こうしたコンサマトリーな生き方はそれはそれでいいではないかと言う。私もそう思う。人に、「今」を手段として生きることを強いるなどというのは恐ろしい傲慢である。実際、経済発展という目的に向かいながら、人が自分の生にインストルメンタルにしか関われないような社会を、日本はある時から反省してきたのではなかっただろうか。今の若者のコンサマトリーな生き方にはむしろ、見るべき点が多いとすら言うべきではないか。
(引用終了)
た上でさらに、コンサマトリーな行為は「親密圏」での自足に止まる危険があるとするなら、それと「公共圏」の問題をどう繋げるのか、というところまで触れているのが私としては読みどころでした。
よろしかったらぜひとも飛んでお読みくださいませ。