龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCのファンです。
いわきFCの応援とキャンプ、それに読書の日々をメモしています。

多動児ネタをもう一つ。

2013年04月30日 23時16分13秒 | 身体
多動児ネタをもう一つ。

私の友人に、典型的な多動傾向の人がいる。

ある時、私が運転手をし、途中ク彼を拾ってからして温泉飲みをしにいくことになった。
ところが彼はクルマに乗り込み、高速を走り出したとたん
「財布がない」
と言い出した。高速だからもどりようもない。
彼は慌てて家に電話をする。小学生の息子さんに
「テレビの上は?」
などと指示しながら探してもらっている。
しかし、見つからない。その電話の間にも自分のリュックをゴソゴソまさぐりつつ。

結局リモコン探索は不首尾に終わり、電話を切ってバッグに入れたとたん、
「あった!」

いるでしょう、そういう人がみなさんの周りにも。

同行していた知り合いも、ほれぼれしながら
「今日はいい多動をみせたもらいました」

といってました。その知り合いもかなりなもんなんですけどね。

っていうか、多動の人は、そうでない人からみるとイライラの種なんではないか、と思う。
そして圧倒的に男が多いような気もする。
そしてこれは病気みたいに言われるけれど、むしろ「現象」なのではないか、とも思われる(笑)


忘れかけていた放射線管理区域基準を思い出した。

2013年04月30日 22時27分38秒 | 大震災の中で

団藤保晴というねっとじゃーなりすとがyahooニュースに書いていた記事。
これは福島に住む者が肝に命じておかねばなるまい。

つい忘れがちになるけれど、一般人向けではなく放射線を扱う職業の人を対象とした基準が、
放射線管理区域という概念で、これが
1・3ミリシーベルト/三ヶ月
を上限としている。まあ、法律上の基準ですね。もちろん大震災前の基準です。

福島市街地の半分は居住不適。報道されぬ不思議

http://bylines.news.yahoo.co.jp/dandoyasuharu/20130429-00024621


「居住不適」
と断言していいかどうかは議論の余地はある。
しかし、法律に照らして整合性がとれるのか?
という素朴な疑問には、誰も答えられていないんじゃないかな、2年が過ぎても。

もしこの大事故でなければ、これだけ多くの人を巻き込んだ大災害でなければ、間違いなくひとは住まないだろう、とも、素朴に感じる。

つまり、ことが小さいから、じゃない。むしろあまりにことがおおきいから、大騒ぎしないし、できないのだ。

しょうがないから住んでいる。
魂の拠り所はここしかないから、すんでいる。
なんの保証も保障もないからすんでいる。
経済的基盤がここにしかないから住んでいる。

とりあえずは大丈夫だろうけれど、一般人が24時間はいられない場所で満ち溢れていることは間違いない、という程度の「非常時」ではあるのだ。

屋内は線量が低いし、除染した限定区域については線量がぐっと下がるから、生活はできる。実質基準を上回る被曝はしない人が多いだろう。


でも、繰り返すが、もし仮に事態がもっと小規模だったら、誰も住まないんじゃないかな、という素朴な思いはある。

この感じを忘れないためには、この記事はとても個人的に大切なものだった。





多動児、茂木健一郎のこと。

2013年04月30日 21時05分50秒 | 身体

茂木健一郎が水道橋博士の『藝人春秋』について書評を書いていて、それを読んだのがきっかけで彼(茂木健一郎)のブログ

クオリア日記

を読むようになった。

間違いなくいわゆるADHD系である。

友人に同じ多動系が一人いて、極めてクリエイティブで、ちっともじっとしていなくて、ものを実に良く無くす。
何かを生産的に考えることの資質の中には、そういう過度な「動き」が必須なのではないか、とさえ思って見たくなる。
最近お会いした映像関係のプロデュースの仕事をしている方も、それ。

彼らの鬼門は、改札口であり、コンビニのレジであり、クルマのドアである。

私のような粗忽者に言われたくないだろうが、さいふと定期券、それに携帯の場所ぐらい、場所を決めておけばいいのに、彼らにはそれができない。

「あれ?、あれ?」

とおなじみの声をだしながら、関所の前で減速し始めるのだ(笑)

決してバカにするわけではなくて、その姿を見ているとホッとしたりする。

でも、神様はその脳みその散らかり具合の代わりに、新しいものやことを生み出したり、状況に対応するフットワークを与えてくれた。
わたしもかつては及ばずながらその仲間だったような気がするのだが、もう財布の場所や携帯電話紛失であわてることがなくなってしまった。
そのぶんだけ、思考が固定的になってきてしまったような気がする。
最近は、もっと大切なものを忘れ始めているような……。

ともあれ、茂木健一郎の日記は、オススメです(笑)




http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/


『スピノザ 異端の系譜』イルミヤフ・ヨベル著の感想。

2013年04月30日 11時24分01秒 | 大震災の中で
メディア日記龍の尾亭に『スピノザ 異端の系譜』の感想を書きました。
第一部の結論部分から第二部を読めばいいんじゃないかな。

正直個人的には、第一部、マラーノというイベリア半島で弾圧されたユダヤ人たちの歴史の部分が、ちょっと読み進めるのに苦労した。

けれども読み終わってみれば、
1,イベリア半島でレコンキスタ以後キリスト教によって弾圧されたユダヤ教の人々が、自由の共和国オランダに移住してきたこと

2,、そしてスピノザはそのポルトガル系の移民の孫であること、

3,さらに、スピノザはそのアムステルダムのポルトガル系ユダヤ共同体からも「破門」されているということ、

それらの要素は、「帰る場所のない出自」として、「エチカ」を考える基本的な要素の一つとしてはカウントしていいのだろうと感想を持ちました。

それがスピノザ哲学の「原因」になるとは全く思わない。

けれど、昨日観た映画『希望の国』の大谷直子の台詞

「お父さん、帰ろうよ」

と、響き合わないこともないかな、と。

よろしかったらこちらへ。
http://ryuuunoo.jugem.jp/?eid=980425