龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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福島第一原発視察(その2)

2016年04月22日 22時32分29秒 | 大震災の中で
出発前に簡単な説明を受けた。
私は事前に
AWFの吉川さんの廃炉についてのレクチャーを受けていたので、だいたい同内容だったが気になるポイントがいくつかあった。

1、トリチウム汚染水をいつ海に流すのか

2、地下水と格納容器の圧力の均衡をどう保つか。


1については、その方向だ、という意味の説明があった(検討中、という程度かな正確には)。
今回の視察での説明とは別に、こんな記事もある。

毎日新聞2016.4.19「福島・汚染水 海洋放出が最も短期間で低コスト」

http://mainichi.jp/articles/20160419/k00/00m/040/134000c

現在の技術では、水をフィルターにかけるとトリチウム以外の核種は除去できるのだそうだ。
だが、トリチウム(三重水素)は、除去可能だがきわめて高コスト。となれば、そのまま(海は広いから結果としては薄めて、ということになるが)海に放出するのが低コストってわけだ。
小学生でも分かる理屈だ。

結局そうなるのか、と思う。

たしかに、メルトダウンを起こした東京電力福島第一原子力発電所の敷地内は今驚くほど空間線量は低くなっている。福島県内のTVニュースで毎日流れる第一原発脇の港湾内の放射線量は多くが検出限界以下だったりもする。
なるほど、徹底的に人工環境を作り上げて、地上でも海底でも、埃一つ舞い上がらないようにすれば、結果として空間(水中も)線量は劇的に低下するに違いない。

しかしそれは、徹底的にコンクリートやアスファルト、モルタルなどで斜面や道路、あるいは海底を覆い尽くした結果にすぎないだろう。

それ以外のところは、相変わらず高線量だし、廃棄物はどんどん敷地内に溜め込まれたままだ。

さて、今後いつトリチウム汚染水を海に流すという方針が出されるのか、興味深いところだ。

2,については注意深く内部の水位が地下水の水位を上回らないようにコントロールしていく、という説明があった。
遮蔽すればよいというものではないとすると、その自然相手のさじ加減はけっこう難しいのではないか、とも思うが、このあたりも今後きちんと注目しておきたいところである。



福島第一原発視察(その1)

2016年04月22日 21時45分22秒 | 大震災の中で
東京電力福島第一原子力発電所の視察にいってきた(2016.4.21)。
その写真とメモをアップしていく。

その1(もうすぐJヴィレッジは復興の拠点としての役割を終了するのだそうだ)

12:00Jヴィレッジに到着。


いわき市から高速道路を使うと40分ぐらいか。
ここで簡単な事前説明を受けてからバスに乗って福島第一へ。

Jヴィレッジは楢葉町にあるので、

楢葉町→富岡町→大熊町(一部双葉町)

の順番でバスは第一原発へ向かう。

Jヴィレッジは元々サッカーのトレーニングセンターとして東電が地元に提供したものだが、この5年間原発事故対応の拠点となってきた。
最近ようやく復興本社機能が富岡町に一部移転。Jヴィレッジ自体も、来年までには元のグランドに整地して地元に返還されるという。

ここを出るとすぐ、見えてくるのがこの遠隔技術開発センター


ここには原子炉格納容器と同寸の模型が置かれていて、ロボットの遠隔操作による作業のための開発が行われるのだという。ハイテク!

国道6号線に出るところに、楢葉町の仮設商店街「ここなら商店」がある。役場の駐車場に設定されている。この日は行けなかったが、訪れてみたい。



これは富岡町に3月31日オープンされたセブンイレブン。

ちなみに写真にはないが、当日楢葉町に東邦銀行の店舗営業が5年ぶりに再開された、という脇をバスで通過した。
どちらも良かった、というべきなのだろうが、まだまだ銀行再開やコンビニ開店が話題となる状況だ、ということでもある。

帰還できるようになった楢葉町で帰還率は約6%だという。富岡町は避難指示解除準備区域/居住制限区域/帰還困難区域と町が3つに分かれている。これもまた苦しい状況だ。

帰還困難区域/居住制限区域/避難指示介助準備区域の区別はこちらを参照のこと

http://www.minyu-net.com/osusume/daisinsai/saihen.html


☆福島第一原子力発電所に着くまでのバスの中での感想。

広野町→楢葉町は、もうある意味で普通に生活を始めている区域である。
昨年試験作付けをした米からもセシウムは検出されていない。
一方で、帰還者の数はまだまだ、だ。

ふるさとに帰ることについてもいろいろな考え方や選択があるのでそれをどうこういうことは出来ないが、正直なところ、以前のままの町、あるいは以前の規模の町、を再現するのは難しいのだろうな、という印象を抱く。

後述するが、廃炉の完了までには数十年単位で時間が必要だ。

それを見通した上でどんな人たちがどんな形で改めてコミュニティを作っていくのか。

楢葉町にも診療所がオープンしたし、富岡町にもスーパーが今年再開予定だという。



新たな町づくりを注目していきたい。




写真は当日同行した「一般社団法人AFW」からの提供(以下視察記事の写真は同様)。