龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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木島泰三「スピノザにおける観念とコナトゥス」Ⅰ~Ⅳを読む

2022年02月03日 12時59分53秒 | 大震災の中で

木島先生の論文4本を読んだ。

スピノザにおける観念とコナトゥス1~4
http://doi.org/10.15002/00022414
http://doi.org/10.15002/00023064
http://doi.org/10.15002/00023464
http://doi.org/10.15002/00024071

1番目の論文において木島氏は
「意志と知性は 1 つの同じものである。」(岩波文庫版『エチカ』第2部定理49の系(P187)
を引用しつつ、スピノザが「決定論的な判断の意志説」を取っていると論じている。

たぶんスピノザに関心がない人にとっては、間違いなくなんのこっちゃ、ということになる。
しかし、「自由意志」に関わる幻想が未だ世の中を満たしている2022年初頭の現在、この「判断の意志」という考え方は、私の瞳にはむしろ魅力的に映る。

ただ、そこだけ拾ってみているだけでは、空中戦というか哲学的な「解釈」に関わる遠いお話に感じられる面もある。

思惟と延長、つまり思考と物体というか、精神と身体というか、その二つがどう関わっているのか、について突き詰めて考える必要があるのは間違いない。

マジンガーZのように、人間精神が身体や物質の「操縦者」というか「判断と意志」を持ったプチ神様として振る舞うという二元論的な図式を引きずっている限り、「自由意志」の問題はなかなか厄介なところをぐるぐる巡ってしまう。

倫理的、という言葉がどんな範囲でどんな事柄を指し示すのか、もはっきりとは分からないけれど、存在し続けること、行為に向かうこと、そのことを根源的に肯定すること……スピノザの哲学がそういう場面で役に立つとするなら、そこから「倫理」について考えを広げ深め得るのではないか。
ずっとそんなことをぼんやりと考え続けている。
木島先生の論文が、その辺りに光を当ててくれるのではないか、と期待しつつ、続きを待ちたい!

 

 



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