を観てきた。
(まちポレいわきで3/4に)
心と身体に沁みる映画だった。
ほぼ、犯罪の加害者家族と被害者家族が対面して話し合う場面のみに絞り、主要登場人物家族2人×2の息苦しい「対峙」が続いていく。
様々な層の言葉が浮かんでは沈み、また底から上ってきては拡散していく、その力に引き込まれた。
独りの親であってすら、様々なことばが胸の内に、あるいは唇をついて、顕れては隠れる往復運動をしつつ、同じところに戻ることはできない。二組、四人の加害者家族(両親たち)の感情や思考、振る舞い、関係が錯綜しながらせめぎ合うところに私たちは立ち合うことになる。
作品のテーマとは別に、ある瞬間までは私は観客の一人としてずっと加害者の親の立場に近いところで映画を見ていく。
そういう風に作られているのだと思う。被害者家族の辛さがツラいという場面が続くわけだから。
(もちろん、だからこそ被害者家族の視点でこの映画を観るということもあり得る。このあたり、感想を聞きたいところだ。)
しかし、あるところからそれが変わっていく。
そこが1つのポイント。
カタルシス(浄化)というのではないが、ある種の到達点がほのかに示される。
だが、それで終わりではない。もう一つは、その先にもう一つの転換のポイントがある。
そこは、もう一度観てみないとはっきりとは論じられない。
簡単に論じることはできない種類の課題を抱えて観客は席を立つことになるのだろう、とも思った。
訴訟放棄の書類にサインをして、率直に加害者家族との対話を求めるという社会的なシステムがある、んだろう。
(これは実際にあるんだろうねえ)
宗教的フレームにも触れているが、そこは主題というわけではないだろう。
教会の一室を借りて行われるこの設定も、さまざまなことを考えさせられる。教会の職員も、それを手伝う青年も、具体的には何も言われないが、何か弱さを抱えた描写になっている。
お時間があればぜひ。そして感想もききたいところです。
フォーラム福島では3月下旬に上映かな。観るべし。