サッカーの試合を見ていると、
素人ではあっても、、そのチームの「時間帯」というものがある、ということに気づかされる。
どんなに強いチームであっても、90分間ボールを100%もって、絶対的にフィールドに君臨することはできない。
リードを奪った後の後半アディショナルタイムに、(遅延行為にならない範囲で)ポールを敵陣でキープし続けることばかりを、最後までずーっと続けることが出来はしないように、必ず相手が主導権をにぎる「時間帯」はやってくる。
サッカーはそういうゲームだ。
なかなか点が入らず、下位のチームにも時折チャンスはやってくる。だからゴールの時の歓喜は、ほかのスポーツとは段違いに大きい。
思わず「うぉーーーっ」と声がでそうになる(声出し応援NGだったりするのはだからとてもつらい)。
さて、問題は上位のチームにも下位のチームにも、多寡は別として攻めるチャンスが、間違いなくやってくるとして、それではなぜ勝つチームは、いつも勝つのか?
統計的に枠内シュートの数が多い、精度が高い、ということはもちろんあると思う。
でも、そういう「統計」による勝利に私達は歓喜しているわけではない、という実感も一方ではある。
そこでひとつサッカーのにわかファンとして強く思ったことがある。
サッカーでは、相手のミスによる得点を結構素直に喜ぶんだなあ、というそとだ。
別の競技だと、相手のミスは喜ばないのが通例だ。
サッカーでは、接触プレーで倒れたままの選手がいるときにはボールを外に出し、そのあと相手にボールを戻すなんてことはあるけど、相手のミスでの得点は比較的素直に喜ぶ。
もちろん味方の方はミスにがっかりするわけだけど。
そういうことを漠然と思っていたところ、下記のエッセイを見てとても腑に落ちた。
サッカーでは、相手の
「崩れを察知する」
能力が死命を制するのだ。
相手の小さなミス、もしくは小さなミスとまでは言えないような「崩れ」を察知して、それを見過ごさずに自分たちの「モノ」にできること。
そうなると次にはあっというまの「総崩れ」
が待っている。
そうなんだよ、それなー!
と思った。
チャンスを掴む嗅覚といっても、いいのだが、サッカーの場合は単なる「動物」ではなく、「動物」+「人間」の、「相手のわずかな崩れ」に対する嗅覚が重要なのだ。
アニマルプレーヤーなだけでは足りない。もちろん頭だけでも不十分(解説するには十分かもだけど)。
「崩れ」の察知は、優れて人間的な側面も加味された嗅覚なのではないか?
その、「人間的」ということばを、「予期」という言葉に置き換えてみたい誘惑にかられる。
この項、続けて考える(^_^)。