7月8日(土)曇り【爽やかな青年僧】
このところ少し忙しくしていて、なかなか記事を書けない。ブログの管理人としては怠慢である。しかしほぼ二年かけている訳注研究という仕事が、いよいよ出版社に渡せる段階に入ったので、夜遅くまで老眼を酷使しながら頑張っているところなので、お許しを。
早くこのきりをつけて、宿題から解放されるあの感覚を味わいたいと思っている。
そんなでこのところは、せっかく当ブログにご訪問下さる方に、申し訳ないので、少しでもなにかしら書こうと思っていたところ、昨日素敵な青年に出逢ったので、その紹介を一言。
昨日はある法要があり、鶴見の總持寺に出かけてきた。そこで参拝者を誘導してくれている一人の青年僧に目が止まった。木蘭のお袈裟をつけ誘導してくれている物腰にも落ち着きが見られる。実に凛々しい感じである。私はこの青年僧にたしかにどこかで出逢っているはずだ。
「どこかで出逢ったことがあるような気がするのですけど」と私は話しかけた。おそらく駒澤大学であろう。「駒澤の卒業は平成12年ですけど、僕は大学時代金髪でしたから、イメージが違うと思うのですが」と青年僧は、私と出逢ったことは無いと思うが、という感じで答えた。金髪だった青年が剃髮をすると、かくも変身するのかと言うほどにおそらく別人の観があるだろう。それでも私はこの澄んだ瞳にどこかで出逢ったことがあると思った。
二度目に總持寺の廊下で出逢ったとき、彼の名を尋ねた。その名には確かに覚えがあった。私も名を名乗った。とたんに「あっ、ノートを貸して貰ったことがあります」と私の名前から思い出したように言ってくれた。私はそのことはすっかり忘れていたが、彼の名前とともに、いたずらっぽそうな学生時代の彼の顔が浮かんできた。目の前にいる青年僧は紛れもなく駒澤のキャンパスでいきいきと青春を送っていた青年である。
四年間總持寺で修行しているそうだが、生活はたしかに人を変えうる力がある。ある程度の規律ある生活は、野放図に生きるのとは違う影響を箇箇に与えうるものだと思う。しかしあまのじゃくの私は学生時代の金髪青年も、總持寺の凛々しい青年僧もどちらも輝いていると思う。
總持寺をおいとまするとき、また出逢った。知り合いに出逢った時の人なつこい、爽やかな瞳で送ってくれた。この瞳の輝きが世慣れて失われませんように。坊さんの社会ですれていきませんように、と心から彼の姿に願った。ちょっと嬉しい出逢いだった。
*木蘭の袈裟:得度のときは黒のお袈裟であるが、嗣法といって師匠から法を嗣ぐことを許されてその儀式を終えると、木蘭や色のついた袈裟をつけることができる。木蘭色は赤黒色を帯びた黄色。
*總持寺:横浜鶴見にある、曹洞宗の本山。曹洞宗では永平寺と總持寺の二大本山がある。
*すれるということ:どの社会にも「すれるということ」はあるだろう。僧侶の世界だからといってそれは免れない。人間の社会だから。要領を覚えると、すれるように思う。要領には良い意味もあるが。「すれる」よりも更に悪いのは「毒される」ということだろう。
このところ少し忙しくしていて、なかなか記事を書けない。ブログの管理人としては怠慢である。しかしほぼ二年かけている訳注研究という仕事が、いよいよ出版社に渡せる段階に入ったので、夜遅くまで老眼を酷使しながら頑張っているところなので、お許しを。
早くこのきりをつけて、宿題から解放されるあの感覚を味わいたいと思っている。
そんなでこのところは、せっかく当ブログにご訪問下さる方に、申し訳ないので、少しでもなにかしら書こうと思っていたところ、昨日素敵な青年に出逢ったので、その紹介を一言。
昨日はある法要があり、鶴見の總持寺に出かけてきた。そこで参拝者を誘導してくれている一人の青年僧に目が止まった。木蘭のお袈裟をつけ誘導してくれている物腰にも落ち着きが見られる。実に凛々しい感じである。私はこの青年僧にたしかにどこかで出逢っているはずだ。
「どこかで出逢ったことがあるような気がするのですけど」と私は話しかけた。おそらく駒澤大学であろう。「駒澤の卒業は平成12年ですけど、僕は大学時代金髪でしたから、イメージが違うと思うのですが」と青年僧は、私と出逢ったことは無いと思うが、という感じで答えた。金髪だった青年が剃髮をすると、かくも変身するのかと言うほどにおそらく別人の観があるだろう。それでも私はこの澄んだ瞳にどこかで出逢ったことがあると思った。
二度目に總持寺の廊下で出逢ったとき、彼の名を尋ねた。その名には確かに覚えがあった。私も名を名乗った。とたんに「あっ、ノートを貸して貰ったことがあります」と私の名前から思い出したように言ってくれた。私はそのことはすっかり忘れていたが、彼の名前とともに、いたずらっぽそうな学生時代の彼の顔が浮かんできた。目の前にいる青年僧は紛れもなく駒澤のキャンパスでいきいきと青春を送っていた青年である。
四年間總持寺で修行しているそうだが、生活はたしかに人を変えうる力がある。ある程度の規律ある生活は、野放図に生きるのとは違う影響を箇箇に与えうるものだと思う。しかしあまのじゃくの私は学生時代の金髪青年も、總持寺の凛々しい青年僧もどちらも輝いていると思う。
總持寺をおいとまするとき、また出逢った。知り合いに出逢った時の人なつこい、爽やかな瞳で送ってくれた。この瞳の輝きが世慣れて失われませんように。坊さんの社会ですれていきませんように、と心から彼の姿に願った。ちょっと嬉しい出逢いだった。
*木蘭の袈裟:得度のときは黒のお袈裟であるが、嗣法といって師匠から法を嗣ぐことを許されてその儀式を終えると、木蘭や色のついた袈裟をつけることができる。木蘭色は赤黒色を帯びた黄色。
*總持寺:横浜鶴見にある、曹洞宗の本山。曹洞宗では永平寺と總持寺の二大本山がある。
*すれるということ:どの社会にも「すれるということ」はあるだろう。僧侶の世界だからといってそれは免れない。人間の社会だから。要領を覚えると、すれるように思う。要領には良い意味もあるが。「すれる」よりも更に悪いのは「毒される」ということだろう。