7月20日(木)曇り【彼岸花と咳払い】
(当ブログの管理人は暑さバテにて、久しぶりに皆さんへの通信を書いています。)
七月の東京の盆経は暑さに負けそうであった。炎天下に車を停めておくので、車はサウナ状態になり、車に乗った途端に頭から湯気が出そうになる。濡らしておいたタオルを頭に載せて次のお経先に車を走らせるということになる。来年はもう回れないだろう、と去年もたしかにそう思った。今年も来年はもう無理だろうと思っている。とにかく暑さが普通でないようにこの頃特に感じている。(しかし今日は涼しいので、お盆は暑い巡り合わせだったのは残念。)
いつもお手伝いしているお寺の檀家さんの家を回ったのだが、一家の大黒柱で五十代の人が多かったのが今年は印象的であった。働き盛りであり、まだお子さんたちも一人前ではないので、送られた方も送った方も心残りが多いお別れであっただろう。何歳で死ねば心残りがない、というものではないが、何歳でも人生の終わりには心残りがあって当然であるが、それでも高校生になったばかりの娘を後に残していくことや、年老いた親を跡に残して息子が先に逝ってしまうことに、もう少し生かして貰いたかった、と願ったことだろうと思いを馳せた。
今年は息子さんの二回目のお盆を迎えるというお宅で、お母さんから彼岸花のお話を伺った。秋のお彼岸の頃になると、彼岸花が咲き乱れるところが埼玉にあるそうで、亡くなった息子さんは毎年お母さんを彼岸花見物に連れて行ってくれたのだという。亡くなるその年はもう入院していて連れて行ってくれる体力がなかったそうだが、庭に一輪の真っ赤な彼岸花が突然に咲いたのだという。彼岸花は今まで咲いたこともなく、また翌年はもう咲かなかったという。その年だけ一輪の彼岸花の訪れ、「息子が私に見せてくれたんですね」と母は言う。
そんな話を聞きながら、私は一緒に涙を流してしまう。「これからもきっと息子さんが守ってくれますよ」と言うのが私の言えるせめてもの慰めである。でも気休めでなく私は本当にそう信じている。なにか理屈を越えたことがある、とたびたびに体験することがある。
多くの宗教者が体験していることだと思う。宗教者でなくとも体験していることだろうと思うが、修行している者が確信を持って言うところに救われるものがあるだろう。理論的な方には勿論反論はあろうが、論議することでもないだろう。
またご主人が亡くなって七七日忌の間、ご主人の咳払いを何度か聞いた、という方もいた。そういうこともあるだろうと思う。理屈では割り切れないことが多い。書物の中だけにいては人々からこういう話を聞かせて貰う機会がないので、学者の人は理論にあうことだけを第一と見なしてしまうことがあるだろうと思う。
私の方でも人々とのふれあいで多くの体験をさせていただく。ある家で列席の小学生にとっては、お祖父ちゃんにあたる人のお経の後、「勉強ばかりでなくファーブルの昆虫記などを読むのも楽しいでしょう」と何気なく私が言ったら、その少年はびっくりして「僕、ファーブル塾の検定を受けているんです」と言った。昆虫好きの少年にはそのような検定があるのだという。言った私も内心驚いた。どうしてファーブルが口をついたのか、そのように何の気無く言う言葉にも、なにか理屈を越えたものがあるかもしれない。この家のお祖父ちゃんが孫に頑張れというエールを伝えたくて、私の口を借りたのかもしれない。
またある家での話。その家のご主人は山形の出身だそうで、「家の本家の住職は○○っていうんだけど」と言われたので驚いた。このブログをお読み下さっている方には七月七日の【爽やかな青年僧】の記事は記録に新しいかもしれないが、この青年僧の苗字は珍しいのだが、この家の本家の檀那寺の住職の苗字と同じなのである。「そのお寺の息子さんは總持寺で修行していませんか」と私が言ったら、「ああ、今行っているそうだね」と答えた。
「世間は狭い」というが全くその通りであると思う。私が前に住職をしていたお寺に出入りしていた石材店の娘さんが嫁いでいる家にも、今年は伺った。これもたまたま後から分かったことである。この家からは青ジソの苗を沢山頂いてきた。
皆さんに教えられたり、頂き物をしたり、こうしてお盆のお参りをさせていただくと、やはり体力の続く限りお参りに伺わせて貰いたいと願うのである。さて八月のお盆はどんな陽気になるでしょう。老尼泣かせの暑さでないと有り難いのであるが。
(当ブログの管理人は暑さバテにて、久しぶりに皆さんへの通信を書いています。)
七月の東京の盆経は暑さに負けそうであった。炎天下に車を停めておくので、車はサウナ状態になり、車に乗った途端に頭から湯気が出そうになる。濡らしておいたタオルを頭に載せて次のお経先に車を走らせるということになる。来年はもう回れないだろう、と去年もたしかにそう思った。今年も来年はもう無理だろうと思っている。とにかく暑さが普通でないようにこの頃特に感じている。(しかし今日は涼しいので、お盆は暑い巡り合わせだったのは残念。)
いつもお手伝いしているお寺の檀家さんの家を回ったのだが、一家の大黒柱で五十代の人が多かったのが今年は印象的であった。働き盛りであり、まだお子さんたちも一人前ではないので、送られた方も送った方も心残りが多いお別れであっただろう。何歳で死ねば心残りがない、というものではないが、何歳でも人生の終わりには心残りがあって当然であるが、それでも高校生になったばかりの娘を後に残していくことや、年老いた親を跡に残して息子が先に逝ってしまうことに、もう少し生かして貰いたかった、と願ったことだろうと思いを馳せた。
今年は息子さんの二回目のお盆を迎えるというお宅で、お母さんから彼岸花のお話を伺った。秋のお彼岸の頃になると、彼岸花が咲き乱れるところが埼玉にあるそうで、亡くなった息子さんは毎年お母さんを彼岸花見物に連れて行ってくれたのだという。亡くなるその年はもう入院していて連れて行ってくれる体力がなかったそうだが、庭に一輪の真っ赤な彼岸花が突然に咲いたのだという。彼岸花は今まで咲いたこともなく、また翌年はもう咲かなかったという。その年だけ一輪の彼岸花の訪れ、「息子が私に見せてくれたんですね」と母は言う。
そんな話を聞きながら、私は一緒に涙を流してしまう。「これからもきっと息子さんが守ってくれますよ」と言うのが私の言えるせめてもの慰めである。でも気休めでなく私は本当にそう信じている。なにか理屈を越えたことがある、とたびたびに体験することがある。
多くの宗教者が体験していることだと思う。宗教者でなくとも体験していることだろうと思うが、修行している者が確信を持って言うところに救われるものがあるだろう。理論的な方には勿論反論はあろうが、論議することでもないだろう。
またご主人が亡くなって七七日忌の間、ご主人の咳払いを何度か聞いた、という方もいた。そういうこともあるだろうと思う。理屈では割り切れないことが多い。書物の中だけにいては人々からこういう話を聞かせて貰う機会がないので、学者の人は理論にあうことだけを第一と見なしてしまうことがあるだろうと思う。
私の方でも人々とのふれあいで多くの体験をさせていただく。ある家で列席の小学生にとっては、お祖父ちゃんにあたる人のお経の後、「勉強ばかりでなくファーブルの昆虫記などを読むのも楽しいでしょう」と何気なく私が言ったら、その少年はびっくりして「僕、ファーブル塾の検定を受けているんです」と言った。昆虫好きの少年にはそのような検定があるのだという。言った私も内心驚いた。どうしてファーブルが口をついたのか、そのように何の気無く言う言葉にも、なにか理屈を越えたものがあるかもしれない。この家のお祖父ちゃんが孫に頑張れというエールを伝えたくて、私の口を借りたのかもしれない。
またある家での話。その家のご主人は山形の出身だそうで、「家の本家の住職は○○っていうんだけど」と言われたので驚いた。このブログをお読み下さっている方には七月七日の【爽やかな青年僧】の記事は記録に新しいかもしれないが、この青年僧の苗字は珍しいのだが、この家の本家の檀那寺の住職の苗字と同じなのである。「そのお寺の息子さんは總持寺で修行していませんか」と私が言ったら、「ああ、今行っているそうだね」と答えた。
「世間は狭い」というが全くその通りであると思う。私が前に住職をしていたお寺に出入りしていた石材店の娘さんが嫁いでいる家にも、今年は伺った。これもたまたま後から分かったことである。この家からは青ジソの苗を沢山頂いてきた。
皆さんに教えられたり、頂き物をしたり、こうしてお盆のお参りをさせていただくと、やはり体力の続く限りお参りに伺わせて貰いたいと願うのである。さて八月のお盆はどんな陽気になるでしょう。老尼泣かせの暑さでないと有り難いのであるが。