風月庵だより

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月光

2006-07-14 01:07:34 | Weblog
7月13日(木)曇り真夏の暑さ【月光】

今日は東京のお盆の棚経だったが、暑い暑い一日であった。今夜は月がとてもきれいなので、外に椅子を出して月を眺めていた。

こんなに静かな月の光に打たれていると、世の中で起きているいくつかの悲惨な出来事が信じられない気がする。インドのムンバイでは列車の爆弾テロが、11日の現地時間午後6時頃(日本時間9時半頃)起きてしまった。ムンバイには私もボンベイといわれていた頃(1995年改称される)、しばらく滞在したことがあるので、身近な恐怖を覚えた。

200人以上の死者の犠牲者が出たようだが、負傷者も700人を越えるようである。丁度夕方のラッシュアワーを狙った悪質なテロである。どうして罪もない市民が殺されなくてはならないのか。近隣同志なぜ助け合えないのであろうか。今回のテロの理由はなんであろうとも、家路に急ぐ人々の幸せを踏みにじる権利は誰にもない。家で父や母や兄や息子や娘や、家族の帰りを今か今かと待ちわびていた人々に届けられた7カ所での列車テロであった。

私が一人でインドを旅行した頃は、世界がこれほど物騒ではない良い時代であった。面白いところにお連れしましょう、などという言葉に乗りさえしなければ、それほどの危険な目には遭わないで旅行ができた。ボンベイもかつてイギリス領であったので、インドの他の都市と比べて、近代的な都市である。

私がボンベイを訪れた頃は、ボンベイにはイランやアフリカの富裕な家の子女が多く留学していて、私はイラン人の留学生のお陰で学生寮にしばらく滞在させてもらえた。しかしホメイニ師がイランの指導者にこの頃なったので、イラン人の友人は少し神経質になっていたのを思い出す。

段々に世界が物騒になり始めの頃かもしれない。今は一人旅をすることなど恐くてとてもその勇気はない。

身の回りで、社会で、世界で、いろいろな事件が起きすぎている。もうこれ以上は起きないということはない。「世の中は段々に悪くなるな」と今は亡き本師が言われたとき、新聞もラジオもあまり見聞きしていなかったので、その言葉を印象的に覚えている。いつの時代も人間の世は、悲惨なことで溢れていたのだろうが、この頃は酷すぎるのではないかとも思う。

こんな時、林語堂の『蘇東坡』を読んでいたら、次のような詩があった。蘇東坡の頃は王安石が政治の中枢にいて、人民を苦しめる政策をとっていた。蘇東坡は王安石の政策に反対して地方に追われたり、流刑に等しい目にあったり、苦難な人生を送ったのである。そんななかで、晩年に至って書いた詩である。

縦横憂慮満人間        縦横に憂慮、人間に満つるに
頗怪先生日日間        頗る先生を怪しむ日々の間
昨夜清風眠北(片+庸)    昨夜の清風、北(片+庸)に眠り
朝来爽気在西山        朝来の爽気、西山に在り

〈林語堂の訳(合山究日本語訳)〉
人生は多くの不幸に満ちているのに、
どうすればそんなに静穏な月日を送ることができるのですか。
昨夜私は微風涼しき北風のもとに眠り、
今朝は爽やかな空気が、西の山々を包んでいる。
    *「先生」とは蘇東坡が尊敬した陶淵明を指すのだろうか。

多くの苦難の中にあっても、蘇東坡の心は「自然との完全な調和の域に到達していて」書けた詩であろう。世の中のことに目を瞑るというのではないが、花鳥風月や雲海や山河の大自然に助けられて心の調和を保って生きていくしかないだろう。願わくは宗教的安心を得て調和を保てれば、これにまさることはない。

皎々と照る月を、この地球上で何人の人々が今夜見ていることだろうか。ムンバイの空にももう月は上がっているだろう。そして悲しみの人々を月の光が包んでいることだろう。