2月5日(日)晴れ【憲法改正を白洲次郎氏に学ぶ】
安倍内閣になってから憲法改正についての論議がうるさくなっている。安倍首相は集団的自衛権を行使できるように、憲法九条を改正したいのが、憲法改正の目的である。そのためにも国民投票法案を通過させようと躍起になっているのである。
占領下において占領軍と渡りあって、新生日本のために尽力し、憲法発布当時の証人である白洲次郎氏ならば「なんと愚かなことを」というのではなかろうか。
『プリンシプルのない日本』(白洲次郎著 新潮社 平成一八年六月発行)を丁度読んだので、白洲次郎氏の言葉からこのことについて学んでみたい。
日本が曲がりなりにも六〇年間、他国と戦争を交えないでこられたのは、憲法九条のお陰である。ところがこれを改正して集団的自衛権の行使が認められるようになると、友好国である戦争好きのアメリカに、年中お付き合いをしなくてはならなくなり、日本人が戦争に巻き込まれる可能性が大になるのである。
こんなことは先刻誰しも承知のことではあるが、白洲次郎氏は別の角度から「おくりもの憲法を改正せよ」と論じている。
《憲法を改正するという事自体は私は賛成である。現在の新憲法は占領中、米国側から「下しおかれた」もので、憲法なんてものは、国民のもり上がった意志でつくるべき本質のものだと思う。占領もすんで独立を回復した今日、ほんとの国民の総意による新憲法が出来るのが当然ではないかと思う》(120頁「文芸春秋」昭和28年7月号掲載)
今の日本国憲法が、占領軍が作り上げた憲法であり、裏の事情を知る白洲氏としては、自国の自由意志を尊重する立場から、憲法改正をこの書の所々で論じている。
《憲法改正の焦点は再軍備の問題になると思う。現在の憲法の「戦争放棄」の条項も又連合国側というか、米国側の発明である。この「大発明」に対して、憲法発布の時にマックアーサー氏が如何に自画自賛の陶酔の頂点にあったかということは、読者諸君の未だ記憶に新しいことと思う。
当時には米ソの軋轢は無かったどころか、大部分の米国人は永遠の米ソ親善を信じ、世界平和を夢みていたに違いない。日本の永久の非武装を強調したが、今は米ソの冷戦が始まって、事情が変わったから軍備をしろ、(中略)再軍備問題は、何か米国の御都合主義の御先棒をかつがされるのではなかろうかという危惧を国民は抱いているのではないだろうか》(84、85頁)
《米国が対ソヴィエット観を一変してからは、この連合国の占領は米国一国によるかの如くに転換し、日本も防共の一員として育成しようという当初全然皆無であった一要素が占領政策に加味され始めたことは御承知のとおりである。(中略)この憲法を平和憲法だなんていってありがたがっている御連中は、おそらくこの憲法の出生由来を知らないのではないだろうか》(165頁)
日本の自由意志を無視した、アメリカの押しつけである憲法を改正すべきであると常々主張していた白洲氏であるが、憲法九条については次のように述べている。
《新憲法のプリンシプルは立派である。(中略)戦争放棄の条項などはその圧巻である。押しつけられようが、そうでなかろうが、いいものはいいと素直に受け入れるべきではないだろうか。》(226頁)
日本は今本当に危ない時に遭遇している。白洲次郎氏が憲法改正を提案したのは、今の自民党の考えとは全く次元を事にしていることを明確にしておきたいし、真の平和憲法を作る以外の改正は許してはならない事を、本当に考えないと戦争に巻き込まれるのだということを認識しなくてはならない。
今、私の手元には『プリンシプルのない日本』『風の男 白洲次郎』(青柳恵介著 新潮社)『白洲次郎 占領を背負った男』(北康利著 講談社)の三冊がある。この頃特に白洲氏を再認識している。このような日本人が必要な時だ。日本を戦争に巻き込まないためにも。
同じ本棚に『憲法を変えて戦争へ行こう という世の中にしないための18人の発言』(岩波ブックレットNo.657)がある。これは非常に薄いブックレットだが、この中には吉永小百合さんのメッセージも載録されている。
安倍首相は平和を愛し、美しい日本を愛する人だと思っていたが、思い違いだったのだろうか。
*集団的自衛権という表現がまやかしであり、これは共同防衛権または共同戦闘権であることを知らないとあぶない。
*白洲氏は全くの無防備国になれと言っているのではない。世界の現状を見たとき、自衛は必要といわれるし、安保も利用すべきと言われる。(軍備にかける税金の負担を極力減らす為にも)。中立国であるスイスは国民皆兵であり、国家の防備は怠っていない。国際情勢と国家の存在を冷静に判断することは大事ではないだろうか。しかし白洲氏はこの頃も防衛費を減らさなくてはいけないことを説いているし、国会議員等に払う税金の無駄遣いを誡めている。その頃と状況は少しも変わっていない、いやむしろ悪化しているのである。
このログに対して頂いているコメントにもあるように、国会議員たちは自分たちに不利益な法律や憲法の改正はしないから、アメリカからのおしつけであっても、この憲法を維持したほうが、まだましではなかろうか。
理想の社会は目標ではあっても、現実にはなかなか到達しないことを冷静に受けとめなくてはならないだろう。そのなかでできることを摸索するしかない。先ずは選挙で悔いのない投票をすることだろう。
安倍内閣になってから憲法改正についての論議がうるさくなっている。安倍首相は集団的自衛権を行使できるように、憲法九条を改正したいのが、憲法改正の目的である。そのためにも国民投票法案を通過させようと躍起になっているのである。
占領下において占領軍と渡りあって、新生日本のために尽力し、憲法発布当時の証人である白洲次郎氏ならば「なんと愚かなことを」というのではなかろうか。
『プリンシプルのない日本』(白洲次郎著 新潮社 平成一八年六月発行)を丁度読んだので、白洲次郎氏の言葉からこのことについて学んでみたい。
日本が曲がりなりにも六〇年間、他国と戦争を交えないでこられたのは、憲法九条のお陰である。ところがこれを改正して集団的自衛権の行使が認められるようになると、友好国である戦争好きのアメリカに、年中お付き合いをしなくてはならなくなり、日本人が戦争に巻き込まれる可能性が大になるのである。
こんなことは先刻誰しも承知のことではあるが、白洲次郎氏は別の角度から「おくりもの憲法を改正せよ」と論じている。
《憲法を改正するという事自体は私は賛成である。現在の新憲法は占領中、米国側から「下しおかれた」もので、憲法なんてものは、国民のもり上がった意志でつくるべき本質のものだと思う。占領もすんで独立を回復した今日、ほんとの国民の総意による新憲法が出来るのが当然ではないかと思う》(120頁「文芸春秋」昭和28年7月号掲載)
今の日本国憲法が、占領軍が作り上げた憲法であり、裏の事情を知る白洲氏としては、自国の自由意志を尊重する立場から、憲法改正をこの書の所々で論じている。
《憲法改正の焦点は再軍備の問題になると思う。現在の憲法の「戦争放棄」の条項も又連合国側というか、米国側の発明である。この「大発明」に対して、憲法発布の時にマックアーサー氏が如何に自画自賛の陶酔の頂点にあったかということは、読者諸君の未だ記憶に新しいことと思う。
当時には米ソの軋轢は無かったどころか、大部分の米国人は永遠の米ソ親善を信じ、世界平和を夢みていたに違いない。日本の永久の非武装を強調したが、今は米ソの冷戦が始まって、事情が変わったから軍備をしろ、(中略)再軍備問題は、何か米国の御都合主義の御先棒をかつがされるのではなかろうかという危惧を国民は抱いているのではないだろうか》(84、85頁)
《米国が対ソヴィエット観を一変してからは、この連合国の占領は米国一国によるかの如くに転換し、日本も防共の一員として育成しようという当初全然皆無であった一要素が占領政策に加味され始めたことは御承知のとおりである。(中略)この憲法を平和憲法だなんていってありがたがっている御連中は、おそらくこの憲法の出生由来を知らないのではないだろうか》(165頁)
日本の自由意志を無視した、アメリカの押しつけである憲法を改正すべきであると常々主張していた白洲氏であるが、憲法九条については次のように述べている。
《新憲法のプリンシプルは立派である。(中略)戦争放棄の条項などはその圧巻である。押しつけられようが、そうでなかろうが、いいものはいいと素直に受け入れるべきではないだろうか。》(226頁)
日本は今本当に危ない時に遭遇している。白洲次郎氏が憲法改正を提案したのは、今の自民党の考えとは全く次元を事にしていることを明確にしておきたいし、真の平和憲法を作る以外の改正は許してはならない事を、本当に考えないと戦争に巻き込まれるのだということを認識しなくてはならない。
今、私の手元には『プリンシプルのない日本』『風の男 白洲次郎』(青柳恵介著 新潮社)『白洲次郎 占領を背負った男』(北康利著 講談社)の三冊がある。この頃特に白洲氏を再認識している。このような日本人が必要な時だ。日本を戦争に巻き込まないためにも。
同じ本棚に『憲法を変えて戦争へ行こう という世の中にしないための18人の発言』(岩波ブックレットNo.657)がある。これは非常に薄いブックレットだが、この中には吉永小百合さんのメッセージも載録されている。
安倍首相は平和を愛し、美しい日本を愛する人だと思っていたが、思い違いだったのだろうか。
*集団的自衛権という表現がまやかしであり、これは共同防衛権または共同戦闘権であることを知らないとあぶない。
*白洲氏は全くの無防備国になれと言っているのではない。世界の現状を見たとき、自衛は必要といわれるし、安保も利用すべきと言われる。(軍備にかける税金の負担を極力減らす為にも)。中立国であるスイスは国民皆兵であり、国家の防備は怠っていない。国際情勢と国家の存在を冷静に判断することは大事ではないだろうか。しかし白洲氏はこの頃も防衛費を減らさなくてはいけないことを説いているし、国会議員等に払う税金の無駄遣いを誡めている。その頃と状況は少しも変わっていない、いやむしろ悪化しているのである。
このログに対して頂いているコメントにもあるように、国会議員たちは自分たちに不利益な法律や憲法の改正はしないから、アメリカからのおしつけであっても、この憲法を維持したほうが、まだましではなかろうか。
理想の社会は目標ではあっても、現実にはなかなか到達しないことを冷静に受けとめなくてはならないだろう。そのなかでできることを摸索するしかない。先ずは選挙で悔いのない投票をすることだろう。