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風月庵だより

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福知山線の事故から二年

2007-04-25 23:00:19 | Weblog
4月25日(水)小雨のち上がる【福知山線の事故から二年】

福知山線の脱線事故の大惨事から二年がたった。事故に巻き込まれて命をおとされた一〇七名の方々の三回忌にあたる。ご遺族にとっては、大事な家族を失った悲しみをあらたになさったことだろう。

しかし、この事故に関して、会社側の対応はあまり釈然としたものではないようで、遺族の方々はそのことでも苦しんでいるそうである。

工学院大学の畑村洋太郎教授は「失敗学」という観点から、この事故について検討されていた。なぜこの事故が起きたのか。僅か1分20秒の遅れを取り戻そうと思うあまり、高見運転手はスピードをあげてしまったのか。このような大惨事を引き起こしてしまうほどの無理な運転をなぜしたのだろうか。

効率的であることと、経済性を優先させた会社の経営方針に、一つはあるだろう。利便性を追求するあまり、同時に裏側にある危険性を無視した会社の姿勢にも原因は求められるだろう。

この頃、私が通勤に利用している小田急線などは、毎日のように5分、10分の遅れを起こしている。代々木上原で千代田線と接続しているのであるが、今朝も3分の遅れのために、目の前の千代田線の扉は、こちらの電車がホームに入っているというのに、非情にもピタリと閉じて、走り去っていってしまった。このような目には何回も遭っている。

福知山線の事故の後、頻繁に起きているように感じているが、5分、10分の遅れに少しも動じなくなったということは、福知山線の事故が教訓となっているのかもしれない。少しぐらい遅れても、事故を起こすよりはましであろう、という考えになっているのではなかろうか。その方が乗客としてはたしかに有り難い。

それにしても福知山線の事故のとき、対向車輌や後続車輌が間近に迫っていたのを停めたのは、誰か。もし事故の知らせが入らなければ、二重、三重の大々惨事が引き起こされたであろう。

その惨事を未然に防いでくれた功労者は通りがかりの主婦であったという。畑村教授の話から、それを私は初めて知って驚いた。通りがかりの主婦が、踏切の非常ベルを押さなければ、どのような更なる惨事になっていたか、想像を絶することである。

このようなとき、当然機能しなくてはならないマニゥアルがあるだろうに、会社の人間がそれをできなかったということは、「組織運営の失敗」と畑村教授は言われていた。

これら一つ一つの失敗を検証し、次に失敗を繰り返さないようにすることが、この会社にも、また他の運輸会社にも課せられた大事な問題と言えるだろう。それをいつまでも責任転嫁し、過失を少しでも隠蔽しようというような姿勢では、事故に遭われた方々は浮かばれないであろう。

お亡くなりになられた方々のご冥福を祈らずにはおれない。高見運転手の冥福も祈ります。