風月庵だより

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浅田次郎著『憑神』-問いかけるもの

2007-06-17 15:53:42 | Weblog
6月17日(日)晴れ気温は高いが爽やか、梅雨は?【浅田次郎著『憑神』-問いかけるもの】

久しぶりに小説を読んだ。神保町の三省堂で『インド式計算法』のドリルを買おうかと思ったが、それは止めて、小説のベストセラーの棚にあった浅田次郎著『憑神』(
新潮社、平成19年5月)を手に取った。

『風月庵だより』にご訪問下さる方のなかにも、お読みになった人も多いのではないだろうか。作品の中で、浅田次郎氏が現代人に問いかけてくることは、「人は何を目的に生きているのか、何が人間の幸せなのか」であろうと、解説の磯田道史氏が書いている。

主人公、別所彦四郎は幕末に生きる下級武士である。家は御家人ごけにんとはいえ、下級の御徒士おかち組であった。戦ともなれば、徒(かち)で将軍の軍馬に従い、また影武者として将軍と同じ装束を付けて、将軍の代わりに命を落とすこともあるとされるお役である。彦四郎の先祖はまさに家康の影武者として、その命を捧げたとされていて、それが別所家の誉れなのであった。

しかし、その後、十五代将軍慶喜の御代まで、戦はないのだから、まったくそのお役に立てることがあろう筈がない。ただ御影鎧おかげよろい番として、三十人の影武者の身につける鎧のお世話をするだけが、別所家のお役であった。それも長男の勤めであり、たとえ免許皆伝の剣術の腕が有ろうと、学問に優秀であろうと、次男の彦四郎にはその役すら務めることは叶わず、家住みの哀れな身分であった。それも一度は婿に入ったのだが、婿入り先に男の子が産まれると、もはや用済みとばかりに離縁されて出戻ってきていたのである。

身の不幸を嘆いて、思わず掌を合わせた三巡みめぐり稻荷が、とんでもない霊験のあらたかなる神様の祠ほこらであった。一に貧乏神、二に疫病神、三に死神が取り憑くという結果になってしまったのである。

取り憑いた死神に彦四郎は云う。「わしに、今少し時をくれぬか。わしはわしなりに苦労をし、苦労のつど物を考えて参ったつもりだ。人間はいつかは必ず死ぬ。だが、限りある命が虚むなしいのではない。限りある命ゆえに輝かしいのだ。云々」と。

そして彦四郎は、武士としての、死に場所を見いだし、最後の命の輝きを我が掌にかざして馬上の人となるのである。(これからお読みになる方のために具体的には記しません)

浅田次郎氏原作の映画『壬生義士伝みぶぎしでん』でも感動して泣いたが、この小説を電車の行き帰りに読んでいたので、ラストの頁を開きながら、人前に拘わらず涙を流してしまった。

この太平の世にあって我々は如何に生きようか。いらぬところで争いを起こすことはない。まして電車の中で戦ってはならない。たとえ相手がどうであっても、そこは正義の味方の戦場ではない。(女性が悪戯されるような場合は、なんとか助けなくてはならないだろうが)

仏教徒としては、外に向かって咲かせる花は無用である。ただ我が内に、我に向かって咲かせる花は、消えゆく時の天あまつ御空みそらの供え花ならんか。

小説の世界は外に花を咲かせなくてはかっこよくないのであるが、仏教に学ぶ限りは、外にかっこよく生きなくてよい世界、ただ内なる自己が晴れ舞台なのだ。

それでも浅田次郎氏の小説の世界に感動するのは私の俗気と分析しておこうか。

今週も内に命輝かして生きませう。