9月22日(土)晴れ【「ヒロシマナガサキ」】(新総理を待つ国会議事堂)
明日は自民党の総裁選挙である。今日もたまたま国会図書館に行ったので、よく見慣れた国会の建物ではあるが、写真に収めてみた。国会の正面まで行ったのは初めてである。上の部分はライトアップしているようだ。
今週もいろいろなことがあって、アッという間に一週間が過ぎてしまった。自身のことでは、ただ資料集めやそれを読むだけで終わってしまった。これで論文が書き上がるだろうか、不安になる。来月の中旬には研究発表をしなくてはならない。どうしても扱ってみたい課題があり、ほとんど他の論題の研究はできていたのだが、無謀にも新しい論題に取りかかっている。しかし、やはり面白い論題であったと、調べるほど分かってくることがある。それで、国会図書館にしかない資料があったので、その帰りに議事堂の写真を撮ったりしてきたのである。
さて、実は昨日は、図書館の帰りに、岩波ホールで「ヒロシマナガサキ」を観た。この映画の監督、スティーヴン・オザキ氏は日系ではあるが、アメリカ人である。監督に2国の血が流れていてこそ、原爆の悲惨さを描くだけではなく、戦争責任や原爆を落とした側の論理も描けたのであろう。またアメリカ国籍がなくては入手できないであろうと思われる映像も多々あり、この監督にして初めてヒロシマナガサキを、公平な目で描き出せたのではなかろうかと思う。この映画こそ、世界に核兵器廃絶のための警鐘となりうる映画であると思った。これはドキュメンタリー映画である。(ヒロシマとナガサキの原爆投下を扱った『父と暮らせば』や『TOMMORROW/明日』の黒木和夫監督も、生きていらっしゃったら、どんなにか喜ばれたであろうか。)
ヒロシマに落とされた”リトルボーイ”は15キロトンのウラン爆弾、ナガサキに落とされた”ファットマン”は21キロトンのプルトニウム爆弾、これらの爆弾が運び出される様子の資料映像が、この映画には映し出されている。この異なる2種類の原爆の威力の違いをアメリカは、見てみたかった、ということがあったであろう。投下後の悲惨さは落として初めて知ったのかもしれない。おそらく想像を絶するものだったであろう。
数人の当時の航空士がインタビューに答えている。その中の一人、エノラ・ゲイに乗っていた航空士の言葉、「戦争を終わらせるために原爆を使ったんだ。一刻も早く終わらせ勝つためだ。同情も後悔も全くない」と。これはアメリカの多くの人の意見であると聞いたことがある。
被爆者の方々は、ヒロシマとナガサキから14人が語っている。何十回にも及ぶ手術を受けても、顔にも手にもいまだ消しがたいケロイドが残っている笹森恵子さん。顔の右半分は耳も焼けただれてしまったという吉田勝二さん。体中のケロイドとあばら骨まで焼けただれた体を見せてくれた谷口さん。在校生620人のうちただ一人生き残ったという居森清子さん。弟や姉、そして父親を目の前で一瞬にして失った中沢啓治さん、「はだしのゲン」の作者である。妹と二人だけ生き残ったという下平作江さんは、その妹さんも自殺してしまったというが、最後にこう言われた。
「体の傷と、心の傷、両方の傷を背負いながら生きている。苦しみはもう私たちで十分です、と言いたいですね」と。
この映画には一切の解説もナレーションもない。ただ淡々と被爆した方々が当時の経験を語り、その後を語っているだけである。そして時々に当時の被爆者の焼けただれた姿や、真っ黒になっている夥しい死体の写真、おそらくアメリカ軍が保存していた資料であろう、また被爆者の方々が描いた真っ赤な炎に包まれて焼けている人の絵や、垂れ下がった皮膚の人の絵(おそらくそのような写真や絵であったと思う、実は時々正視できなかった)などが織り込まれている。
余計なナレーションがなくても、悲惨なことは十分に観客に伝わってくる。私は映画を観ていて、胸がつまってワッと泣き出しそうになった経験は初めてであった。この映画を世界中の人々が観てくれたなら、核兵器は廃絶すべきだという人間としての想いを、多くの人が抱いてくれることだろう。
そしてこのようなことを起こさせてしまった原因は、時の為政者が起こした戦争にあることを忘れてはならない。日本の舵取りを担う政治家の人々に、決して戦争を起こさないことを改めて誓って欲しい。アメリカに押しつけられたものではあるが、憲法九条を遵守することをあらためて誓って欲しい。安倍さんは九条の改変を企んでいたが、これも強行採決するつもりであったろうが、してはならないことなのだと改めて思った。明日、麻生さんになろうが、福田さんになろうが、善政を敷いて貰いたいと切に願って議事堂の写真を撮ってきた。(しかし丸腰ではこの日本の平和は守れない。)
今月中は「ヒロシマナガサキ」は岩波ホールで上映されています。(もしかしたら10月5日まで、お調べ下さい)
明日は自民党の総裁選挙である。今日もたまたま国会図書館に行ったので、よく見慣れた国会の建物ではあるが、写真に収めてみた。国会の正面まで行ったのは初めてである。上の部分はライトアップしているようだ。
今週もいろいろなことがあって、アッという間に一週間が過ぎてしまった。自身のことでは、ただ資料集めやそれを読むだけで終わってしまった。これで論文が書き上がるだろうか、不安になる。来月の中旬には研究発表をしなくてはならない。どうしても扱ってみたい課題があり、ほとんど他の論題の研究はできていたのだが、無謀にも新しい論題に取りかかっている。しかし、やはり面白い論題であったと、調べるほど分かってくることがある。それで、国会図書館にしかない資料があったので、その帰りに議事堂の写真を撮ったりしてきたのである。
さて、実は昨日は、図書館の帰りに、岩波ホールで「ヒロシマナガサキ」を観た。この映画の監督、スティーヴン・オザキ氏は日系ではあるが、アメリカ人である。監督に2国の血が流れていてこそ、原爆の悲惨さを描くだけではなく、戦争責任や原爆を落とした側の論理も描けたのであろう。またアメリカ国籍がなくては入手できないであろうと思われる映像も多々あり、この監督にして初めてヒロシマナガサキを、公平な目で描き出せたのではなかろうかと思う。この映画こそ、世界に核兵器廃絶のための警鐘となりうる映画であると思った。これはドキュメンタリー映画である。(ヒロシマとナガサキの原爆投下を扱った『父と暮らせば』や『TOMMORROW/明日』の黒木和夫監督も、生きていらっしゃったら、どんなにか喜ばれたであろうか。)
ヒロシマに落とされた”リトルボーイ”は15キロトンのウラン爆弾、ナガサキに落とされた”ファットマン”は21キロトンのプルトニウム爆弾、これらの爆弾が運び出される様子の資料映像が、この映画には映し出されている。この異なる2種類の原爆の威力の違いをアメリカは、見てみたかった、ということがあったであろう。投下後の悲惨さは落として初めて知ったのかもしれない。おそらく想像を絶するものだったであろう。
数人の当時の航空士がインタビューに答えている。その中の一人、エノラ・ゲイに乗っていた航空士の言葉、「戦争を終わらせるために原爆を使ったんだ。一刻も早く終わらせ勝つためだ。同情も後悔も全くない」と。これはアメリカの多くの人の意見であると聞いたことがある。
被爆者の方々は、ヒロシマとナガサキから14人が語っている。何十回にも及ぶ手術を受けても、顔にも手にもいまだ消しがたいケロイドが残っている笹森恵子さん。顔の右半分は耳も焼けただれてしまったという吉田勝二さん。体中のケロイドとあばら骨まで焼けただれた体を見せてくれた谷口さん。在校生620人のうちただ一人生き残ったという居森清子さん。弟や姉、そして父親を目の前で一瞬にして失った中沢啓治さん、「はだしのゲン」の作者である。妹と二人だけ生き残ったという下平作江さんは、その妹さんも自殺してしまったというが、最後にこう言われた。
「体の傷と、心の傷、両方の傷を背負いながら生きている。苦しみはもう私たちで十分です、と言いたいですね」と。
この映画には一切の解説もナレーションもない。ただ淡々と被爆した方々が当時の経験を語り、その後を語っているだけである。そして時々に当時の被爆者の焼けただれた姿や、真っ黒になっている夥しい死体の写真、おそらくアメリカ軍が保存していた資料であろう、また被爆者の方々が描いた真っ赤な炎に包まれて焼けている人の絵や、垂れ下がった皮膚の人の絵(おそらくそのような写真や絵であったと思う、実は時々正視できなかった)などが織り込まれている。
余計なナレーションがなくても、悲惨なことは十分に観客に伝わってくる。私は映画を観ていて、胸がつまってワッと泣き出しそうになった経験は初めてであった。この映画を世界中の人々が観てくれたなら、核兵器は廃絶すべきだという人間としての想いを、多くの人が抱いてくれることだろう。
そしてこのようなことを起こさせてしまった原因は、時の為政者が起こした戦争にあることを忘れてはならない。日本の舵取りを担う政治家の人々に、決して戦争を起こさないことを改めて誓って欲しい。アメリカに押しつけられたものではあるが、憲法九条を遵守することをあらためて誓って欲しい。安倍さんは九条の改変を企んでいたが、これも強行採決するつもりであったろうが、してはならないことなのだと改めて思った。明日、麻生さんになろうが、福田さんになろうが、善政を敷いて貰いたいと切に願って議事堂の写真を撮ってきた。(しかし丸腰ではこの日本の平和は守れない。)
今月中は「ヒロシマナガサキ」は岩波ホールで上映されています。(もしかしたら10月5日まで、お調べ下さい)