風月庵だより

猫関連の記事、老老介護の記事、仏教の学び等の記事

チベットのジャンヌ・ダルク

2008-09-27 07:55:30 | Weblog
9月27日(土)曇り【チベットのジャンヌダルク】

チベットが中国に侵略されて引き起こされている、チベット民族の悲劇については周知のことと思います。しかし、具体的にはどのような残虐な行為が起こされているのか、あまり知られていないでしょう。

私は最近『囚われのチベットの少女』(フイリップ・ブルサール、ダニエル・ラン著、今枝由郎訳。トランスビュー刊)という本によって、ある尼僧のことを知りましたのでご紹介させていただきます。

ガワン・サンドルという名の尼僧がチベットにいます。チベットのそれもダプチの監獄にいるのです。11歳のときから29歳になる今も監獄につながれたままです。一体何をしたのでしょうか。

「自由チベット万歳」「チベットは自由の国だ」「中国はチベットから出ていけ」「ダライラマ万歳」と叫んだだけで捕まったのです。先ずグツァの拘置所に連れて行かれました。そこで兵士たちに殴られ蹴られ、石を投げられ、わずか11歳の少女は傷だらけの拷問を受け、そのまま収監されたのです。「自由チベット」と叫んだだけで。

一緒に「自由チベット」と叫んだ尼僧たちは、「過ちを後悔しているか」という裁判官の問いに「何も後悔はしていません」と答えて、三年から七年の懲役を言い渡されてダプチの監獄に収監されました。

ガワン・サンドルは、さすがにまだ子どもだったからでしょう、ラサにあるグツァの監獄に一年置かれました。決して大切にされた一年では勿論ありません。一度釈放されて戻った家族の状態は、父親はチベット独立運動の活動家として獄中につながれ、母は亡くなり、二人の兄弟はインドに逃れて行ってしまい、残っていたのは、離婚した姉とその子どもたち、そして尼僧の姉だけでした。

そのときガワン・サンドルには、インドのダラムサラに逃げるという手段があったのにもかかわらず、少女はそれを望まなかったのです。幼い頃から、父にチベット民族としての誇り、国を愛する心を教え込まれていた少女は、逃げないでこのチベットで戦おうと決心していたのでしょうか。

釈放された翌年1992年6月18日のラサの決起集会で、再び少女は叫んだのです。「チベット独立」「中国はチベットから出ていけ」と。

そして再びグツァの拘置所に入れられました。ここでの拷問の味はすでに知っているはずの少女でしたのに、なぜ自ら過酷な状況に身を置くことを選んだのでしょう。そしてくだされた判決は懲役3年の刑でした。このときガワン・サンドルは13歳でした。「覆滅および分離活動への煽動」というのが罪状です。

ガワン・サンドルはダプチの監獄に移されました。そこで少女は2年前にともに「自由チベット」と叫んで監獄に入れられている尼僧院の尼僧たちと再会しました。大人の尼僧たちは少女との再会に驚きました。まさか再び少女が捕まるようなことをするとは想像だにできなかったのでしょう。少女はあえてその道を望んだのです。

何故なのでしょう。このことを理解するには、幼い頃から教えられた仏教の心を解き明かす必要があるでしょう。この続きはまたに致します。これから本師が揮毫なさった書を表装されたというので娘さんのお寺にお邪魔に伺います。なんと平和な日本国にいる老尼でありましょうか。