風月庵だより

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人間の是非一夢の中

2011-08-08 08:36:42 | Weblog

8月8日(月)晴 【人間の是非一夢の中】

「人間の是非一夢の中」

これは私の好きな言葉です。良寛様の漢詩の一句です。

「半夜」

回首五十有余年 (首〈こうべ〉を回〈めぐら〉せば五十有余年)

人間是非一夢中 (人間〈じんかん〉の是非一夢の中〈うち〉)

山房五月黄梅雨 (山房、五月黄梅の雨)

半夜蕭蕭灑虚窓 (半夜蕭々〈しょうしょう〉として虚窓〈こそう〉に灑〈そそ〉ぐ)

*人間は〈じんかん〉と読んでも、〈にんげん〉と読んでも良いのではと思います。じんかんという方は、人の住んでいる世間の意味がはっきりしますが、にんげん、のほうが耳がすぐに理解できますし、人間そのものをさすニュアンスがあります。良寛様はどちらでしたでしょう。

五十有余年の来し方を振り返ってみれば、(いろいろなことがあったことでしょう)、人の世であれがよい、これが悪いなどということは、儚い一夜の夢のようなものだ。この五合庵に、五月の梅雨の雨が、夜中に、蕭々として戸の入っていない窓にふりそそいでいる。

梅雨の雨が、しとしとともの寂しくふりそそぐ真夜中、良寛様は寝付かれないでいらっしゃったのでしょうか、それとも雨の音にふと目を覚まされたのでしょうか。夜中に目を覚ましていますと、五十数年のご自分の人生が、走馬燈のように思い出されたことでしょう。

多くのご苦労もあったことでしょう。玉島の円通寺の修行時代にも苦しいこともあったに違いありません。村の長の家に生まれた良寛様でしたが、跡を継がない苦しみもあったことでしょう。珠玉の言の葉をたくさん、後世の私たちに遺していってくださった良寛様ですが、その汚れを嫌う心は、世の中との葛藤が多かったのではないでしょうか。

しかし、来し方を振り返ってみれば、あれはよい、これは悪いなどという人の世の価値判断のなんという危ういことか。おそらく良寛様も振り回されていた時もあったかもしれません。なにが是か非かわからないし、さらに考えれば、是非の価値判断さえ愚かしいことといえるでしょう。

しとしとと降る梅雨の雨がふりそそいでいる窓には、戸も入っていないような国上山の侘びしい五合庵で、せんべい布団に身を横たえて、この世のはかなさ、危うさをしみじみと懐古なさっていた良寛様だったでしょう。

私たちにもいろいろな出来事が身に降りかかってきます。時には思いも寄らないような目にもあいます。まして現代のように情報過多の時代は、余計なことが多すぎます。このような時代に、自分の純粋性を保って生きていくことは、なかなかしづらいでしょうが、「人間の是非一夢の中」と、良寛様のお言葉を反芻しつつ、涼やかに生きていきたいものです。

まだまだ暑い日々ですが、皆様、どうぞお体お大事にお暮らしくださいますよう。