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『大悲心陀羅尼経』中の女人変成男子を考える

2021-06-20 20:02:12 | Weblog

6月20日(日)晴れ夕方曇り【『大悲心陀羅尼経』中の女人変成男子を考える】

今日も暑かったですね。日中の納骨もあり、汗をかくほどの暑さに少々参ってしまいました。

さて、朝課の時に、決まり通りのお経だけではなく、いろいろとお唱えしています。今は、『大悲心陀羅尼経』をあげています。陀羅尼部分の『大悲心陀羅尼』は年中唱えていますが、この陀羅尼が含まれる経典はあまり一般的にお唱えしないと思います。

その経中に次のような文言があります。「若し諸々の女人、女身を厭い賤しみて男子の身と成らんことを得んと欲して、大悲心陀羅尼句を誦持せんに、若し女身を転じて男子の身と成らずんば、我れ誓って正覚を成ぜず。少(わず)かも疑心を生ぜん者は必ず果たし遂げざるなり。」

もし多くの女性が女性の身を嫌い賤しいものとみて男性になりたいと願って、大悲心陀羅尼の句を誦え続けるのに、もし女性の身を転じて男性の身にならなかったならば、私は悟りを成就しないと誓おう。少しでも疑いの心を起こすものは、果たし遂げることは絶対にできない。

「我れ」とは、「観世音菩薩」のことです。「変成男子」については、『法華経』の中にも『無量寿経』にもありますが、女性が男性になることのほうがよいこと、としてとらえると、仏教には女性差別の考えがある、と勘違いされてしまうでしょう。

しかし、現代でもインドにおける女性の地位の低さには、目を覆いたくなるような事件さえあることを考慮しなくてはなりません。たまたま「中外日報」に堀内みどり先生の「女性を死に追いやる「文化」今も」という論考が掲載されていました。このタイトルだけでも想像できますし、さらに見出しには「彼女たちはなぜ死ぬべきなのか」「当たり前だ」と言う社会そして宗教ーとあります。

先生はインドに留学していましたが、その折に持参金(ダウリー)が少ないので、調理中の火がサリーに燃え移って焼死したように見せかけられた殺人事件があって、それに抗議する女子学生のデモ行進があったということや、恋をして妊娠した女性が家族の名誉を犯したとして、生きながら火あぶりにされたり、亡くなった夫に殉じて妻も一緒に焼かれるという「サティー儀礼(寡婦殉死)」という慣習があるそうで、法律的には今は禁止されているそうですが、実際は年に数件あるそうです。

インターネットの記事などでも時々ひどい女性蔑視の事件を目にします。バスの中で、集団で襲われて、たしか殺されてしまった女子学生の話などもあったと記憶しています。女性は価値がない、男性よりも劣る、とされている社会の中から、変成男子の考えは出てくるのは当然でしょう。

仏教は平等を説いているはずなのに、おかしい、と受け取られてしまいそうですが、女性を物扱いするような文化の国において、女性救済のための方法として、変成男子論は考え出された方法だったのではないでしょうか。

しかし、インドの現状もまことにひどいですね。私は、40年ほど前に、一人でインドを三カ月ほど旅をしましたが、行きずりの旅人である私には、そこまで気が付くことはできませんでした。今でもインドでは、当たり前のようにレイプされたり、ひどい目にあっている女性がいるということを思いますと、経典に変成男子論が出てくることは、女性を蔑視しているのではなく、女性救済の一方法として受け取ってよいのではないかと改めて思うところです。