1月23日(日)晴れ、寒い【宗教多元主義】
今朝たまたまラジオを聴いていたら、「宗教の時間」で「宗教多元主義」について、間瀬啓充先生という方がお話をされていた。ジョン・ヒックという宗教学者が提唱された宗教の捉え方で、「さまざまな宗教が同じ社会に存在することを認め、お互いの価値を認めながら共存していこうとする宗教的態度、思想である。」(Religious pluralism)
私は、この考えにおおいに賛成である。特定のこの宗教だけが良いという考えはない。たまたま自分には、仏教があっていたので、僧侶の道を選んだのであって、他宗教がよくない、とかいう考えは毛頭ない。宗教多元主義について、あまりこの思想について、詳細かつ正確には理解していないのだが、恐縮ながら、次には稚拙な自分の考えを吐露させてもらいたい。
中学時代は日曜学校に通い、イエス様の教えを学ばせてもらったし、出家してからも、イタリアのアッシジに10日間ほど滞在して、心酔する聖フランチェスコの洞窟には何回も足を運んだりしたほどである。
ただ、どの教えが正しいのだろうか、と悩んだ時期は確かにあった。インドで釈迦牟尼について尋ねると、「9番目のグルーだろう」という答えが返ってきて、仏教についてもあまり知識もないときであり、お釈迦様はインドでお生まれになった偉大な聖者と思っていたので、9番目とは随分下の方に置かれていると少々驚いたりしたのだが、インドの人は仏教ではなくヒンズー教の人が多いので、ヒンズー教では、9番目のグルーという扱いなのであろう。
ある時、イスラム教の青年と飛行機で隣同士になったことがあったが、その時に砂漠のような過酷な環境で暮らすには、力を合わせて暮らさなくてはならないことをマホメットは、教えといたのだと学んだのである。そう簡単な事だけではないと思うが。
万人の地球人類が、たった一つの宗教で満足するような単一性は無いことは自明の事であり、先ずは育った地域や文化や諸々の条件によって、それぞれに合う宗教が自然発生しているとさえいえるのではないだろうか。
God has many names.
と、シック先生は言われたそうであるが、そうなると「GOD」という前提を認めるか、どうか、ということで論争が起きそうである。
私は、確かに「Great Something」という前提を認めているので、仏教僧としては異端かもしれない。このへんが宗教論争を好む類の方たちには問題とされるところかもしれない。
キリスト教信者である遠藤周作さんもシック先生の影響を受けて「なぜ「宗教」は互いにわかりあうことができないのか。」という視点から『深い河』を書かれたそうであるが、私も大変感銘を受けたことを覚えている。同名の映画も見たが、そこまでは撮れていなかったと思う。
この頃はバチカンや比叡山などで、世界宗教者会議が開かれて異宗教間の交流も好意的な角度からあって、シック先生たちの説く「宗教多元主義」の考えが浸透してきていると言えるのだろう。
願わくば、イスラームの指導者の方々も積極的に参加されて、それぞれを認め合い、この狭い地球で平和的に暮らせるようになることが、最大の願いといえようか。
長々と哲学的な考察なしに、私的に書いてしまい失礼しました。
はや、23日なのですね。お寺の税金の書類や、自分の税金の書類の整理もしなくてはなりません。「国民」の義務ですね。頑張りましょう。
今日は今までに当寺の檀家さんでただ一人新型に感染してお亡くなりになってしまった方の一周忌でした。ご遺族の人たちもこの一年大変でしたでしょうが、遺産の対応もなんとかできたようで、菩提寺の和尚としては、よかったと思いました。若い当主がこの一年ですっかり大人になった感じがしました。
このウイルスによる感染死は本当にさせたくないです。