1月17日(月)晴れ【高校生による刺傷事件を考える】
今日は阪神・淡路大震災から27年がたちました。災害に遭われた皆様に哀悼の意を捧げます。
さて、一昨日は東大前で、共通試験に向かっていた高校生と72歳の方が、刺されるという事件が起きました。衆知のことと思います。
その前の日に、当寺には、共通試験がうまくいきますようにと、お参りに来ていた高校生がいましたので、一緒に鐘を撞きました。また実力が出ますようにと、祈りを込めた数珠もはめてあげたりしましたので、この事件が他人ごととは思えませんでした。刺されてしまった二人の高校生が、あまりに気の毒に思えました。もしかしたら、当寺にお参りにきた彼である可能性もあったわけです。
かつて受験戦争と言われた時代を生き抜いてきた私としましては、刺した少年の思い込みも気の毒としか言えません。東大病にならなくてもよいのに、その愚かさを本人が気が付かないとしたら、周りの大人が諭してあげることはできなかったのでしょうか。年をとってみれば、何でもありませんよ。東大に入り、社会で活躍して、今や年老いた友人たちが多くいますが、皆良い老人になっています。それだけの事。真の賢さを教えない教育が、この高校生のような愚かな人間を作り上げてしまうのです。せっかく且つたまたま優秀な頭脳を頂いて、この世に生まれてきたのに、犯罪者になってしまって、彼の人生はこれからどうなるのでしょう。
自殺しようと思ったのなら、どうして他人を巻き添えにしようとなどと考えたのか、身勝手ですね。この頃のいくつかの事件、大阪の放火事件もそうですが、どうせ死ぬのなら、他人を巻き添えにして、それで世間に名を知られて死のうと思ったようですが、全く身勝手です。どうしても死にたければ、せめて他人に迷惑をかけないで、死を選んではいかがなものでしょうか。決して自殺を推奨しているわけではありません。
72歳の重症の方に回復していただきたいと祈るばかりです。二人の高校生も体だけではなく、精神的にも乗り越えて頂きたいと願うばかりです。
*コロナ禍により、学校生活がほとんどスムーズに送れなかった世代の、ストレスの塊となった悲劇でもあるでしょう。しかし、当寺にお参りに来た高校生には、そのようなストレスは感じませんでした。人それぞれといえましょう。家人から勉強しろ、と厳しく言われて勉強が嫌になったと言っているそうですが、それと、他人を巻き添えにしてしまうことは別にとらえなくてはならないでしょう。このような身勝手な考えを、コロナ禍の被害者として、容認することは短絡的な考えではないでしょうか。