
【5月8日(木)晴れー韓国の旅(7)金寺の朝課と両親の日】 (右端の曉粲さんはまだ見習いなので、お袈裟をつけていない。来年は沙弥として僧堂修行にでます)
〈朝課〉
さて慶州から帰ったのは、昨夜の11時過ぎでしたが、翌日の朝も4時から金寺の朝課は始まります。たとえどんなに遅く寝たとしても朝課の時間は変わりません。
金寺には、30年以上も尼僧堂の堂頭をつとめていた寂照法尼がいらっしゃいます。金寺の長老です。僧堂は3時起床ですから、4時でも遅いと思われていますが、なんとか4時でお許しくださっているようです。
実は寂照法尼は本覺法尼のお姉さんです。本覺法尼の6人兄弟姉妹は全員出家なさいました。韓国でも珍しいケースでしょう。
さて、私も毎朝の朝課はこの朝から出させていただきました。何時に寝ても4時前に起きると決めれば、心身ともに自然にそのサイクルになります。私 も僧堂で修行していたときは3時起きでしたが、東京の今の生活では、5時から6時起床というのんびり時間になってしまっています。
さて、韓国の誦経には独特の節がついています。耳に聞いても浄められる感じがあり、口に唱えても自ら浄められる感じがします。まず「懺悔文」がとなえられ、「般若心經」は金剛神将を祀ってある方に向いてとなえられます。次には礼拜とともに「禮佛文」、次に「佛頂首楞嚴陀羅尼」、そして「釋迦牟尼佛」の名号を108回の3倍つまり324回お称えしながら礼拜をします。このあいだに百拜をする雲水もいます。古参の徳曉法尼はおそらくその行をしているのではないかと思いました。お称えの回数は長老が珠数で数えてくださっています。最後に「怡山慧然禅師発願文」 がとなえられます。(だいたいのことは、英語で話せる沙弥の曉昔さんに教えていただきましたが、聞き間違いがありましたらご容赦ください)朝課の時間は丁度一時 間程です。朝課自体も修行ですが、朝課によって、清浄なエネルギーを身心に漲らせて、これから一日のさらなる修行のはじまりを迎えられるのです。
〈両親の日と誕生日〉
5月8日は両親の日だそうです。もともとは母の日だったのですが、お父さんたちが運動して、両親の日に換えたのだそうです。寂照法尼と住み込みのお手伝いの方お二人、そして母にもカーネーションが贈られました。朝4時に、朝課には出ないで、市場に買い出しに出かけ た雲水たちが買ってきてくれたのです。今日は六七日忌の法要があり、御斎をだすので、その買い物などのために買い出しに出かけたのです。
また沙弥の曉昔さんの今日は誕生日です。師匠の本覺法尼がそのことに気づいてケーキの注文を、すぐに買い出し組に電話していましたが、買い出し組は早朝にもかか わらず、ちゃんとケーキを調達してきました。また韓国では誕生日には母親が若布スープを作るそうですが、お寺でも作ります。曉昔さんは四人姉妹の末っ子で す。インドに10年留学して、博士号を取得し、先生をしていましたが出家しました。、曉昔さんの出家は、本人だけではなく両親の願いでもあったそうです。韓国では子どもの内一人はお坊さんにさせたい、という人が多いようです。そのよ うな話を、石窟庵で徳話を頼まれた人からも聞きました。息子さんを海印寺(ヘインサ)に修行にだしたそうです。出家して貰いたいと願って。
午後には曉昔さんのご両親も、ケーキと家庭菜園のお野菜を沢山届けにいらっしゃいました。お二人は、お寺に届ける野菜作りを、今は楽しまれているようです。
この日の午前中は六七日忌の法要がありました。心を尽くした金寺の法要には、とても僧侶として学ぶべきことが多く感動しました。金寺の七日七日の法要 については、有り難いことに、この度の滞在期間の間に2回随喜のご縁がありました。翌日の九日に、他の方の七七日忌がありましたので、また項を改めて紹介 しましょう。
この日の午後は、金浦にある中央僧伽大学に連れて行って貰いました。ほとんどの学生(全員僧侶、在籍者400人くらい)は、この時期は、それぞれの師寮寺に帰っているようで、静かな構内でした。
この大学は、教授たちも大学内に宿泊している方が多いそうです。学生寮も比丘館と比丘尼館があるそうです。
手前は教授たちの建物[精進館]奥は講義室[智慧館]
大講堂
夕食は金浦にある菜食料理のお店でご馳走になりました。野菜は知里山からのものだそうで、新鮮な香り高い野菜でした。野菜懐石料理とでもいったらよいでしょうか。とてもおいしい料理でした。お店の名前を記録しておかなかったので、ご紹介できないのが残念。
*レストランの名「草葉の中の生命(プリ ソウイ ヘンニョン)」
この日も一日がアッという間にすぎました。アンニョンヒ チュムセヨ(おやすみなさい)。

〈朝課〉

金寺には、30年以上も尼僧堂の堂頭をつとめていた寂照法尼がいらっしゃいます。金寺の長老です。僧堂は3時起床ですから、4時でも遅いと思われていますが、なんとか4時でお許しくださっているようです。
実は寂照法尼は本覺法尼のお姉さんです。本覺法尼の6人兄弟姉妹は全員出家なさいました。韓国でも珍しいケースでしょう。
さて、私も毎朝の朝課はこの朝から出させていただきました。何時に寝ても4時前に起きると決めれば、心身ともに自然にそのサイクルになります。私 も僧堂で修行していたときは3時起きでしたが、東京の今の生活では、5時から6時起床というのんびり時間になってしまっています。
さて、韓国の誦経には独特の節がついています。耳に聞いても浄められる感じがあり、口に唱えても自ら浄められる感じがします。まず「懺悔文」がとなえられ、「般若心經」は金剛神将を祀ってある方に向いてとなえられます。次には礼拜とともに「禮佛文」、次に「佛頂首楞嚴陀羅尼」、そして「釋迦牟尼佛」の名号を108回の3倍つまり324回お称えしながら礼拜をします。このあいだに百拜をする雲水もいます。古参の徳曉法尼はおそらくその行をしているのではないかと思いました。お称えの回数は長老が珠数で数えてくださっています。最後に「怡山慧然禅師発願文」 がとなえられます。(だいたいのことは、英語で話せる沙弥の曉昔さんに教えていただきましたが、聞き間違いがありましたらご容赦ください)朝課の時間は丁度一時 間程です。朝課自体も修行ですが、朝課によって、清浄なエネルギーを身心に漲らせて、これから一日のさらなる修行のはじまりを迎えられるのです。



5月8日は両親の日だそうです。もともとは母の日だったのですが、お父さんたちが運動して、両親の日に換えたのだそうです。寂照法尼と住み込みのお手伝いの方お二人、そして母にもカーネーションが贈られました。朝4時に、朝課には出ないで、市場に買い出しに出かけ た雲水たちが買ってきてくれたのです。今日は六七日忌の法要があり、御斎をだすので、その買い物などのために買い出しに出かけたのです。
また沙弥の曉昔さんの今日は誕生日です。師匠の本覺法尼がそのことに気づいてケーキの注文を、すぐに買い出し組に電話していましたが、買い出し組は早朝にもかか わらず、ちゃんとケーキを調達してきました。また韓国では誕生日には母親が若布スープを作るそうですが、お寺でも作ります。曉昔さんは四人姉妹の末っ子で す。インドに10年留学して、博士号を取得し、先生をしていましたが出家しました。、曉昔さんの出家は、本人だけではなく両親の願いでもあったそうです。韓国では子どもの内一人はお坊さんにさせたい、という人が多いようです。そのよ うな話を、石窟庵で徳話を頼まれた人からも聞きました。息子さんを海印寺(ヘインサ)に修行にだしたそうです。出家して貰いたいと願って。
午後には曉昔さんのご両親も、ケーキと家庭菜園のお野菜を沢山届けにいらっしゃいました。お二人は、お寺に届ける野菜作りを、今は楽しまれているようです。
この日の午前中は六七日忌の法要がありました。心を尽くした金寺の法要には、とても僧侶として学ぶべきことが多く感動しました。金寺の七日七日の法要 については、有り難いことに、この度の滞在期間の間に2回随喜のご縁がありました。翌日の九日に、他の方の七七日忌がありましたので、また項を改めて紹介 しましょう。
この日の午後は、金浦にある中央僧伽大学に連れて行って貰いました。ほとんどの学生(全員僧侶、在籍者400人くらい)は、この時期は、それぞれの師寮寺に帰っているようで、静かな構内でした。
この大学は、教授たちも大学内に宿泊している方が多いそうです。学生寮も比丘館と比丘尼館があるそうです。

手前は教授たちの建物[精進館]奥は講義室[智慧館]

夕食は金浦にある菜食料理のお店でご馳走になりました。野菜は知里山からのものだそうで、新鮮な香り高い野菜でした。野菜懐石料理とでもいったらよいでしょうか。とてもおいしい料理でした。お店の名前を記録しておかなかったので、ご紹介できないのが残念。
*レストランの名「草葉の中の生命(プリ ソウイ ヘンニョン)」
この日も一日がアッという間にすぎました。アンニョンヒ チュムセヨ(おやすみなさい)。

日本のお坊さんは法要のときなどは金ぴかで、どうかと思います。また僧侶の格によって、材質やら、色やらが違っているようです。権威主義であり、信者を畏怖させるようで、本来の仏教から外れているように思うのですが。
日本は貴族や殿様との結びつきがあったこともあるでしょうが、お坊さんの衣やお袈裟は派手です。
法要の導師を勤める時は、修行のときの衣やお袈裟とは別です。導師でなければ、黒い衣と修行時のお袈裟をつけます。
韓国やチベットや他の東南アジアの国々の、僧侶の衣やお袈裟のほうが、出家者としては好ましいと、私も同感です。衣の袖がどうしてこれほど長く大きいのかということに「衣やさんの儲けじゃ」と師匠は言っていましたが、多分にそういうこともあるでしょうが、日本の文化から出てきた日本流の僧の衣文化とお袈裟文化でしゅ。曹洞宗には、糞掃衣といって、人の執着を離れたいろいろな布きれで作るお袈裟というのもあります。