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華綾慧春尼その5ー接化の日々

2006-09-11 23:08:46 | Weblog
9月11日(月)曇り【華綾慧春尼その5ー接化の日々】

2001年「9.11」、2749人の命を一瞬にして奪った悲劇から五年が経った。それだけではなく、世界貿易センターの近くで働いていた人々や、救援活動をした人々はその後、体の不調を訴える人が続出しているという。アスベストや汚染物質を知らずに吸い込んでしまっていたことが原因であろうか。

ビル崩壊のむくむくとした煙をあらためてテレビの映像で観ていると、ヒロシマやナガサキの原爆を思い起こさせられる。全くなんの罪もない人々が一瞬にして命を奪われ、その後も後遺症に苦しみ、命を失っていった多くの被爆した人々。世界貿易センターのタワー1とタワー2で起きた悲劇はそれにダブる。

なぜ世界にこのような悲劇が起きたのであろうか。誰がこの悲劇を引き起こしたのか。なにがこのテロを起こさせたのか。その首謀者と思われる人物やグループを世界から抹殺しようとしても、それはなんの解決にもならないことを、世界は知っているはずである。武器産業に多くの利益をもたらすような手段は、悲劇をさらに大きくさせることも世界中が知っている筈である。

イラクではすでに4万人以上も犧牲になり、米兵も3千人(イラクとアフガニスタンでの戦死者数)近く亡くなっている。アフガニスタンのことはこの頃は報道されないが、どうなっているのだろう。なぜこの悲劇が起きたのか、なにがこの悲劇を引き起こしたのか、それを解決しようと努力しない限り、明日、もっと大きな悲劇が起きるだろう。「9.11」の犠牲者の死を無駄にしてはならないのではなかろうか。

〈慧春尼史伝の続き〉
〈原文〉
後卓菴於山下。接待往來。有僧請益只許老胡知不許老胡會語。師擡左手。搦右手。示之。其僧點頭而去。
〈訓読〉
後に山下に卓菴し、往來を接待す。僧有りて、「只老胡知るを許し、老胡會(え)すを許さざるの語」を請益(しんえき)す。師、左手を擡(かか)げて、右手を搦めて、之に示す。其の僧、點頭し去る。

慧春尼は大雄山の下の方に庵を造り、山に往來する人々をもてなした。ある僧が師に教えを請うた。「達磨を(理として)知ることは認めても、達磨を会すことは認めないという語はなんでしょうか」と。師は左手をかかげて右手をからめてこの僧に示した。僧は分かりましたと頷いて去っていった。

老胡には釈迦の意味もあるが、この場合は達磨であろう。しかしこの件は私にはどうも解説ができない。達磨の教えを本当に理会する語はなにかと聞かれ、それは言語表現できない、と師は示したということなのだろうか。力不足でお許し頂きたい。どなたかご意見があればお教え頂きたい。請益願います。

*今でも大雄山の麓には、摂取庵と正寿庵の二庵が残っている。慧春尼が開いた庵は三格庵といって三庵あったが、慈眼庵だけは横須賀の方に移転して慈眼寺となっている。格庵というのは旅装を解いて上山の支度を整える為の庵のことをいうのである。現在も住持として上山する場合、摂取庵で支度を整えて上山するしきたりになっているようだ。

*これら三格庵が建てられたのは最乗寺開創の1394年から1402年までの間のようである。それは室町時代四代将軍足利義持の時である。世の中は高度成長期でもあり、地方分権のすすんだ時代で、女性の慧春尼もおそらく実家の援助もあったであろうが、三庵も建てることができた情勢であったのではなかろうか。

*男僧を指導する話は、最乗寺の三世、大綱明宗禅師伝の中に見つけることができる。酒匂という所で、明宗禅師が法を説いていた時のこと、明宗禅師はすでにひとかどの道を説く師だったようだが、その座に、慧春尼も話を聴きに来ていらした。説法が了っても尼師は去らないで、明宗禅師に密かに云った。「貴僧は、なかなか知恵もすぐれ、教えにあかるい。しかし、残念なことに、自らの安心ができていない」と。さらに師は続けて「方向違いの仏道修行をしています。貴僧のために、私は深くこれを惜みます」と言った。そこまで尼師に云われて、明宗禅師は、胆をぬかれるような驚きであったろう。明宗禅師は、尼師の言に従い、了菴禅師のもとに参じ大悟したのであった。

(これは慧春尼の行状として、慧春尼史伝の中にいれてほしかったと思う一段である。この件は私が十年ほど前あるところに寄稿した一文をもとにまとめたが、この記事の出典を失念してしまったので後日書き足しておきたい。)

この続きはいよいよ慧春尼の火定の話になるのであるが、世界貿易センターで自爆テロを遂げた人々のことも考えながら、その部分を解説してみたいと思う。〈続き〉


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
tenjin和尚さんへ (風月)
2006-09-13 20:52:00
コメント有り難うございます。



どうも理解しきれないところがあります。このような公案は本当に難しいです。



「葛藤」巻についても、すぐにはそうかと理会しきれないところがあります。参究してみます。有り難うございました。
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失礼いたします。 (tenjin95)
2006-09-12 09:44:43
> 管理人様



なかなかこういった公案のやり取りは難しいものでありますが、なんとなくですが、「師は左手をかかげて右手をからめて」という示し方に、拙僧はいわゆる「葛藤」が頭に浮かびました。



道元禅師は『正法眼蔵』「葛藤」巻にて「葫蘆藤の葫蘆藤をまつふは、仏祖の仏祖を参究し、仏祖の仏祖を証契するなり。たとへばこれ以心伝心なり。」と示されますが、これなどはまさに右手左手、お互い違うように見えながら、本は同じであり、結局そういった存在が同じ存在に纏うことこそ、仏法を会すことであるということになろうかと存じますが、いかがでしょうか。
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