2月24日(土)晴れ北風強し【子育てはママばかり】
今週はバスの中で、保育園に行く途中のママと坊やに、会う機会が多い一週間だった。三日続けて会った坊やとママもいた。「小さいうちは私が傍にいた方がいいんですけれど」と若いママは言った。「働かなくてはなりませんから」
一歳になったばかりだという坊やを保育園に預けてから、ママはお仕事。帰るときも坊やを迎えに行って、帰宅したらすぐに夕食の支度やらなにやら。ママはきっと帰宅してからも大忙しで働き通しのことだろう。
坊やはとても愛くるしくて、バスの中でもニコニコと笑顔を振りまいてくれるので、こちらまで幸せな気持ちに満たされてしまう。回りの乗客も思わず顔を綻ばせ、坊やのお陰でバスの中は幸せな波動に包まれるのだ。
幼な子のいる風景はなんと素晴らしいことか、と感じる。しかしこの幸せを運んでくれるには、ママたちの苦労に一身にかかっているように思う。朝の通勤電車の中でも、小さな子を抱いたママの姿をあちこちに見受けられる。ほとんどがママばかりで、パパの場合は実に少ないのである。(なかにはパパが保育園に連れて行ってくれる家庭も勿論あるだろうが)
1,2歳位まではまだ抱っこができるので多少は楽だろう。しかし少し大きくなると乳母車に乗せなくてはならないので、バスに乗せたり、段差のあるところの移動は大変になろう。ママにばかり子育ての比重はかけられているようで、これでは子どもを産みたくない女性が増えてもやむを得ない状況ではないだろうか。
少子化問題を考えるには、政治家の人たちもバスに乗ったり、電車に乗ったりして働く女性の姿をご覧頂く必要があるだろう。またパパたちの協力も本当に必要だと思う。共稼ぎが必要な現代の生活では、男性の意識改革も今更ながらではあるが、あらためて考えて貰いたい問題であろう。それには子どもの頃からの教育が大きい。なんでも小さなうちから良いことはインプットして、お家のお手伝いができる子どもに育てなくては、ね。
ママたちがもう少し子育てが楽になって、可愛らしい幼な子が街に増え、子供たちの声が街角にあふれる日本になりますように。
*今日は仕事と知人の送別会があり、ログを書く時間がとれなかったので、日常の一こまを書きました。
今週はバスの中で、保育園に行く途中のママと坊やに、会う機会が多い一週間だった。三日続けて会った坊やとママもいた。「小さいうちは私が傍にいた方がいいんですけれど」と若いママは言った。「働かなくてはなりませんから」
一歳になったばかりだという坊やを保育園に預けてから、ママはお仕事。帰るときも坊やを迎えに行って、帰宅したらすぐに夕食の支度やらなにやら。ママはきっと帰宅してからも大忙しで働き通しのことだろう。
坊やはとても愛くるしくて、バスの中でもニコニコと笑顔を振りまいてくれるので、こちらまで幸せな気持ちに満たされてしまう。回りの乗客も思わず顔を綻ばせ、坊やのお陰でバスの中は幸せな波動に包まれるのだ。
幼な子のいる風景はなんと素晴らしいことか、と感じる。しかしこの幸せを運んでくれるには、ママたちの苦労に一身にかかっているように思う。朝の通勤電車の中でも、小さな子を抱いたママの姿をあちこちに見受けられる。ほとんどがママばかりで、パパの場合は実に少ないのである。(なかにはパパが保育園に連れて行ってくれる家庭も勿論あるだろうが)
1,2歳位まではまだ抱っこができるので多少は楽だろう。しかし少し大きくなると乳母車に乗せなくてはならないので、バスに乗せたり、段差のあるところの移動は大変になろう。ママにばかり子育ての比重はかけられているようで、これでは子どもを産みたくない女性が増えてもやむを得ない状況ではないだろうか。
少子化問題を考えるには、政治家の人たちもバスに乗ったり、電車に乗ったりして働く女性の姿をご覧頂く必要があるだろう。またパパたちの協力も本当に必要だと思う。共稼ぎが必要な現代の生活では、男性の意識改革も今更ながらではあるが、あらためて考えて貰いたい問題であろう。それには子どもの頃からの教育が大きい。なんでも小さなうちから良いことはインプットして、お家のお手伝いができる子どもに育てなくては、ね。
ママたちがもう少し子育てが楽になって、可愛らしい幼な子が街に増え、子供たちの声が街角にあふれる日本になりますように。
*今日は仕事と知人の送別会があり、ログを書く時間がとれなかったので、日常の一こまを書きました。
いつも、このバスの中の子どもシリーズ???を楽しみにしております。
>少子化問題を考えるには、政治家の人たちもバスに乗ったり、電車に乗ったりして働く女性の姿をご覧頂く必要があるだろう。
この一言に尽きますね。
政治家の先生には、こういう言葉を単なる僻みとして流してもらいたくないですね。
今回のお話を読みながら、本当にそう思えました。
>またパパたちの協力も本当に必要だと思う。
こちらも......自戒の念も込めその通りだと思います。
これからの課題ですが
かぎっ子問題が騒がれ始めた頃から、少しも改善されてない問題ですね。
私の回りの方々は割合に家庭第一なのでいつも感心しています。夜中にミルクをパパがあげているとか、お風呂にいれるとか、デズニーランドにつれていくとか。
しかもママは専業主婦なのに、ですから感心します。叢林さんもきっと家庭第一のパパにやがてなるのではと、予想しています。
日本の少子化に歯止めをかけるのは、お坊さんがよいお手本になるとよいですね。
日本の現状を考えますと、共稼ぎのご夫婦がふえるのは止められないようです。この状態で子どもを育てやすい社会の状態を、回りの人たちも考えなくてはならないだろうと思います。
私も以前はお母さんは家に居て、と願っていましたが、現状は変えられませんので、この状態での最良の方法を探っていく必要があろう、と考えをあらためました。バスの中で優しいママたちに出会うことが多いので、このママたちが働かなくては生活が不安か、もしくは仕事にやりがいを持っていらっしゃって、やむを得ないのだろう、と考えるようになりました。
ええ、させられたとは言いません(笑)
父親は、小さいときにどれくらい子どもと接しているかが、勝負?です。
大きくなってからの影響力(嫌われ方)が違ってくるでしょう。
しかし、よく考えて見ると、昔の商家や農家の女性はそれぞれの仕事をこなし、家政を整え、現代の人とは比べ物にならないくらい、休み無くよく働いていました。
しかも、好きも嫌いも無く嫁がされた嫁ぎ先の仕事であって、自分の本来やりたい事と違うこともあったであろうにです。
昔と今と違うことは何だろうと考えて見ると、時間の流れ方と情報量と環境の汚染のされ方が圧倒的に異なっているのではないでしょうか。
その事で、現代人はストレスに晒され、昔の人ほど働けないし、忍耐もないのではなかろうか、と愚考しました。
自然に子どもが社会に役に立つように育つ社会の基盤が今薄れているので、いろいろと問題が起きているのであり、決してママの育て方だけの問題ではないでしょうね。
うさじいさんお言われるとおり、〈時間の流れ方と情報量と環境の汚染のされ方〉などの問題は大きいと思います。現代の問題はテレビなどの普及と、その内容にかなり責任があるように感じます。私もテレビは観ますけれど、気をつけないと毒される可能性があります。
別な意味ですが、炬燵を「なまくら箱」と誰かが言ったのですが、テレビこそなまくら箱ですね。
その存在だけでも充分ともいえましょう。今子供たちにとってお父さんが見えないことが問題なのでしょう。しかし昔ほどには猛烈社員や飲んだくれの人はいなくなり、かなりマイホームパパが増えたように感じます。
それにしましても主婦の仕事量は、外に働きにでないでもかなりなものでしょうから、外に働きにでているママはとても大変でしょうね。