【5月6日(火)晴れー韓国の旅(3)慶州ー石窟庵と祇林寺】(ガソリンスタンドの屋根さえ瓦葺き)
ソウルに着いた翌日の6日と7日にかけて、慶州(キョンジュ)にお連れ頂いた。約400キロあるので、車で5時間かかりました。運転は本覺法尼自身がずっとしてください ました。助手としてお弟子さんの曉法尼さんが付いてきてくれました。韓国の旅の間、この曉法尼さんがずっと母の介護係を務めて下さり、まことに有り難 いことでした。
写真は石窟庵(ソクラン)の入り口。石窟庵にある釈尊像は、新羅時代(景徳王10年ー751)、金大城という宰相が親をしのぶために建てられたそうです(世界遺産)。韓国は石造りの仏像や岩に彫られた磨崖仏が多くあります。山も岩山が多く目に入ります。
石窟庵入り口までは、92歳の老人が乗車しているので、車で入ることができましたが、そうでなければ曲がりくねった山道を登ることは不可能だったでしょう。この岩に建てられたお堂のなかに、石造りの釈尊像がありますが、撮影禁止です。
石窟庵から下りる石段。登るときは、曉法尼が母を抱えて登ってくれました。ここの下にあるお堂で、係の女性から法話を求められたのは、私にとっては初め ての経験でした。梨をむいてくださったのですが、このお布施に対して、「どうぞご法話を願いします」というお申し出なのです。日本では無い経験なので、ちょっととまどいましたが、お話をさせて頂き ました。韓国ではこのようにお坊さんに法話をお願いするのを、徳話というそうです。お坊さんの徳のある話をしていただくことだそうで、よくあることだそうです。お坊さんも熱心な信者さんによって、育てられる感じがいたしました。
これは含月山祇林寺の一棟です。豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄1592、慶長の役1597)に対して、これを阻止すべく僧侶たちが僧兵となって、ここに籠もったのだそうです。豊臣秀吉は韓国では本当に大敵です。韓国側では壬申倭乱といいます。
祇林寺の大雄殿。ここの遺物展示館には観音像がおさめられていました。この仏像は乾漆の像で有名なようです。とても慈悲深い目をした観音菩薩です。ガラス 越しではありましたが、近くに拝むことができました。写真撮影は禁止です。
慶州一日目は、この後、民族工芸村の前の食堂で、夕飯を食べました。お豆腐を自 分のお店で作っているそうで、おいしいお豆腐の鍋料理。またキムチやら、ゴ ボウのような漬け物やら、添え物のお皿が7皿ほど並びますので、いつもながら驚きます。日本では、漬け物も別注文するので、韓国の友人たちははじめ驚くそ うですが、納得できます。
夕暮れが迫る頃、普門観光団地圏の普門湖で遊覧船に乗って、無事にこの日の観光は終わりました。
*慶州:新羅時代(356~935)の古都。世界文化遺産の都市。新羅時代の文化と歴史が生きている。建造物にはおそらくいろいろな規制があると思われますが、屋根なども瓦屋根と決められているようです。ガソリンスタンドの屋根さえ瓦葺きでした。
ソウルに着いた翌日の6日と7日にかけて、慶州(キョンジュ)にお連れ頂いた。約400キロあるので、車で5時間かかりました。運転は本覺法尼自身がずっとしてください ました。助手としてお弟子さんの曉法尼さんが付いてきてくれました。韓国の旅の間、この曉法尼さんがずっと母の介護係を務めて下さり、まことに有り難 いことでした。
写真は石窟庵(ソクラン)の入り口。石窟庵にある釈尊像は、新羅時代(景徳王10年ー751)、金大城という宰相が親をしのぶために建てられたそうです(世界遺産)。韓国は石造りの仏像や岩に彫られた磨崖仏が多くあります。山も岩山が多く目に入ります。
石窟庵入り口までは、92歳の老人が乗車しているので、車で入ることができましたが、そうでなければ曲がりくねった山道を登ることは不可能だったでしょう。この岩に建てられたお堂のなかに、石造りの釈尊像がありますが、撮影禁止です。
石窟庵から下りる石段。登るときは、曉法尼が母を抱えて登ってくれました。ここの下にあるお堂で、係の女性から法話を求められたのは、私にとっては初め ての経験でした。梨をむいてくださったのですが、このお布施に対して、「どうぞご法話を願いします」というお申し出なのです。日本では無い経験なので、ちょっととまどいましたが、お話をさせて頂き ました。韓国ではこのようにお坊さんに法話をお願いするのを、徳話というそうです。お坊さんの徳のある話をしていただくことだそうで、よくあることだそうです。お坊さんも熱心な信者さんによって、育てられる感じがいたしました。
これは含月山祇林寺の一棟です。豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄1592、慶長の役1597)に対して、これを阻止すべく僧侶たちが僧兵となって、ここに籠もったのだそうです。豊臣秀吉は韓国では本当に大敵です。韓国側では壬申倭乱といいます。
祇林寺の大雄殿。ここの遺物展示館には観音像がおさめられていました。この仏像は乾漆の像で有名なようです。とても慈悲深い目をした観音菩薩です。ガラス 越しではありましたが、近くに拝むことができました。写真撮影は禁止です。
慶州一日目は、この後、民族工芸村の前の食堂で、夕飯を食べました。お豆腐を自 分のお店で作っているそうで、おいしいお豆腐の鍋料理。またキムチやら、ゴ ボウのような漬け物やら、添え物のお皿が7皿ほど並びますので、いつもながら驚きます。日本では、漬け物も別注文するので、韓国の友人たちははじめ驚くそ うですが、納得できます。
夕暮れが迫る頃、普門観光団地圏の普門湖で遊覧船に乗って、無事にこの日の観光は終わりました。
*慶州:新羅時代(356~935)の古都。世界文化遺産の都市。新羅時代の文化と歴史が生きている。建造物にはおそらくいろいろな規制があると思われますが、屋根なども瓦屋根と決められているようです。ガソリンスタンドの屋根さえ瓦葺きでした。
韓国の宗派は、伝統的には、ほとんど曹谿宗だと思いますが、新しくいくつかの宗派ができていると聞きました。円宗とか地蔵宗とか正確な宗派名はちょっとわかりませんが、新興宗教としてあるようです。正確な情報でなくてすみません。また韓国は完全な出家ですが、妻帯している僧侶も少数ですが、いるようで、その方たちは在家出家として別のようです。
信者制度というのは、制度という言葉も不的確かもしれませんが、自分がこの僧侶は尊敬できる、というかたのところに自由に出入りでき、ご葬儀や法事もお願いできますし、そのお寺の行事に自由に参加することができます。自然にその寺の信者として登録されることになるでしょうが、またその寺から離れることも拘束されていないと思います。ソウルの人が、慶州のお寺の信者であることも自由だと思います。先祖から属しているお寺というつながりのある家族もあると思います。
あまり詳しく研究していませんので、正確な情報でなくすみません。
もしこのコメントをお読みの方で、コメントしてくださりたい韓国の方がいらっしゃると有り難いのですが。
韓国でも宗派が色々分れているのでしょうか。
檀家制度は分りますが、信者制度とはどんなことでしょうか。質問ばかりですみません。
韓国に対して、近世日本がした占領政策は全くひどいものでしたので、このことに対して反発するのは当然でしょう。日本も歴史教育をきちんとして、お互いの国の歴史を把握し、その上で新たなる信頼を構築していくことは、とにかく当然のことながら大事なことでしょう。かつて韓国は日本に文化を教えてくれた国なのですから。
日本の皇室とも深い関係があるとさえいわれている民族です。誇り高き民族と、私は思っています。それを戦前の愚かな軍人、政治家が知らなかったことによって、大変に隣国に失礼なことをしでかしてきたのです。
秀吉のことは言うまでもありませんが。
ただ、言語があまりに違いますので、お互いの理解を深めるのに困難なことがあります。ヨン様のお陰で随分近い国にはなったようです。ヨン様の果たした役割は、日本人の宿罪と偏見を見直すのには、よいチャンスになったかもしれません。しかし、ファンの多くがおばさまたちだったので、宿罪の検討にまでは及ばなかったかもしれませんが。
しかし、御陰様で母や私が韓国で、日本人であることにおいて、嫌な経験をしたことはありませんでした。むしろ親切にしていただくことばかりでした。
韓国は「近くて遠い国」(こんな本が昔売れました。)歴史の長さでは比べ物になりませんが、イギリスとアメリカと同じような関係です。彼らは戦争までした仲ですが、今では互いに尊重、補完関係にあります。言語が同じだからでしょうか。日本と韓国が互いの憎しみ、蔑視、敵対心を乗り越え、心から尊重し合いい、共生できる日が来るのでしょうか。
日本での韓流ブーム、キムタクの韓国での人気はこのことの一歩になっているのでしょうか。
ところで慶州は行ってみたいですね。天平の甍の雰囲気が残っているように感じました。