1月19日(土)寒し【梅早春を開くー僕の後ろの道】
芝公園を散歩していると、梅の香りがどこからともなく香ってきた。公園には数十本の梅の木があるが、そのうちの一本が、はや花をつけているではないか。
道元禅師のお師匠様である如浄禅師(1163~1228)の言葉がすぐ脳裡に浮かんだ。「梅早春を開く」(こういう言葉がすぐ浮かぶところは、私はやはりお坊さんというところでしょう。しかし、この言葉は曹洞宗のお坊さんには、周知の言葉なのですが)
歳旦。上堂。元正啓祚。萬物咸新。伏惟大衆。梅開早春還見麼。舉拂子云。一枝拈起眼中塵(大正蔵経48巻123頁c)
歳旦さいたん。上堂。元正啓祚がんしょうけいそ。萬物ばんもつ咸ことごとく新たなり。伏して惟おもんれば大衆だいしゅ。梅早春を開く、還はた見るや。拂子ほっすを舉げて云く、一枝、眼中の塵を拈起す
お寺の修行僧たちを前にして、新年のお言葉である。「梅早春に開く」とは読まないで、「梅早春を開く」と読むのだと、何度と無く聞かされてきた読み方である。「に」と「を」の違いをかみしめたい。春が来たから、梅が開いたのでは無く、梅が開いたから春なのだ、ということ。
そして、私は高村 光太郎(1883年~ 1956年)の「道程」という詩を次に思い浮かべた。
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちにさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守ることをせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため
この詩は光太郎、30歳ごろの詩である。
僕が歩いて道はできるのだ。誰でも、歩いてきた人生のひとすじの道。どんな道でも自分の歩いてきたひとすじの道である。時にはつまずいたかと思い、時には挫折などという言葉で振り返ったかもしれない、それでも自分の道は続いていたし、終わりまで描き続けていくのだ。僕が、私が、それぞれの道を描いていくのだ。梅が早春を開くように、どんな道でも、この自分が歩いて、それぞれのシュプールを描いていく。絶対空間のただなかに。(この空間は視覚的な空間ではない)
さあ、最期までどんな道を描いていくか、「ああ、自然よ、父よ、広大な父よ」光太郎は父と表現したが、母でも同じだろう、しかし、若い光太郎にとって、厳しさに立ち向かう気魄が父と言わしめたのであろう。反発をして、越えようとしていた実際の父である、高村光雲を脳裡に浮かべていたのではなかろう。我々を生かしめている大自然を前に、信念を抱いて敢然と歩んでいこうとしている光太郎の姿が、この詩から彷彿としてくる。
さあ、私たちも若くも年を重ねていても、それぞれの我が道、道無き道だが、敢然と歩いて参りましょう。
芝公園を散歩していると、梅の香りがどこからともなく香ってきた。公園には数十本の梅の木があるが、そのうちの一本が、はや花をつけているではないか。
道元禅師のお師匠様である如浄禅師(1163~1228)の言葉がすぐ脳裡に浮かんだ。「梅早春を開く」(こういう言葉がすぐ浮かぶところは、私はやはりお坊さんというところでしょう。しかし、この言葉は曹洞宗のお坊さんには、周知の言葉なのですが)
歳旦。上堂。元正啓祚。萬物咸新。伏惟大衆。梅開早春還見麼。舉拂子云。一枝拈起眼中塵(大正蔵経48巻123頁c)
歳旦さいたん。上堂。元正啓祚がんしょうけいそ。萬物ばんもつ咸ことごとく新たなり。伏して惟おもんれば大衆だいしゅ。梅早春を開く、還はた見るや。拂子ほっすを舉げて云く、一枝、眼中の塵を拈起す
お寺の修行僧たちを前にして、新年のお言葉である。「梅早春に開く」とは読まないで、「梅早春を開く」と読むのだと、何度と無く聞かされてきた読み方である。「に」と「を」の違いをかみしめたい。春が来たから、梅が開いたのでは無く、梅が開いたから春なのだ、ということ。
そして、私は高村 光太郎(1883年~ 1956年)の「道程」という詩を次に思い浮かべた。
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちにさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守ることをせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため
この詩は光太郎、30歳ごろの詩である。
僕が歩いて道はできるのだ。誰でも、歩いてきた人生のひとすじの道。どんな道でも自分の歩いてきたひとすじの道である。時にはつまずいたかと思い、時には挫折などという言葉で振り返ったかもしれない、それでも自分の道は続いていたし、終わりまで描き続けていくのだ。僕が、私が、それぞれの道を描いていくのだ。梅が早春を開くように、どんな道でも、この自分が歩いて、それぞれのシュプールを描いていく。絶対空間のただなかに。(この空間は視覚的な空間ではない)
さあ、最期までどんな道を描いていくか、「ああ、自然よ、父よ、広大な父よ」光太郎は父と表現したが、母でも同じだろう、しかし、若い光太郎にとって、厳しさに立ち向かう気魄が父と言わしめたのであろう。反発をして、越えようとしていた実際の父である、高村光雲を脳裡に浮かべていたのではなかろう。我々を生かしめている大自然を前に、信念を抱いて敢然と歩んでいこうとしている光太郎の姿が、この詩から彷彿としてくる。
さあ、私たちも若くも年を重ねていても、それぞれの我が道、道無き道だが、敢然と歩いて参りましょう。
「私どものうつろいゆく、かりそめの、うたかたのこの命において、天地法界の命がそこに現ジテいる」「梅早春を開く」をこのように説き明かしてくださいました。
私の説明はまだ十分にこなされていませんので、不十分ですみませんが、私の師匠の言葉を味わい下さい。
はや梅の季節ですね。しかし今は早咲きの梅です。如浄禅師が新年に詠まれた梅も、住職地が中国の南であり、陰暦の新年といっても、やはり早咲きの梅だったのだろうと思いました。
拙僧も、この高村光太郎の詩は好きなものです。そして、この紹介されている如浄禅師の上堂は、「梅華」巻に引用されていますけれども、梅の季節でしょうか。