風月庵だより

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御手洗怜美さんを偲ぶ-佐世保の事件はなぜ起きたか

2006-06-01 12:28:04 | Weblog
6月1日(木)晴れ【御手洗怜美さんを偲ぶ-佐世保の事件はなぜ起きたか】

六月一日、衣替えに相応しく蒸し暑い朝である。さっぱりとした夏服に着替えた少女の一日も、何事もなければ、昨日と同じような一日を終え、家に帰ってお父さんに一日のことを報告して甘えていたであろうに…………

佐世保の小学校で痛ましい事件が起きたのは、二年前のことである。父親の御手洗恭二氏は、「時が経っても苦しみが増すとは思い及ばず、戸惑っています」と手記を綴られている。おそらく癒されることのない更なる苦しみが増していることを、このように表現なさっていられるのであろう。

少女が生きていれば、中学二年になる。この世にあれば、多感な頃を、いろいろな本を読んで楽しんでいたのではなかろうか。『赤毛のアン』を読んでギルバートのような少年に憧れたり、ちょっと背伸びしてヘッセを読んだりして、分からないことをお父さんに教えて貰ったり、将来は看護婦さんになろうか、お父さんのように新聞記者になろうか、それとも美味しい料理を亡きお母さんの代わりに作ってあげられるような料理研究家になろうか、次々にいろんな夢を見ていただろう。

いまだその死を受け入れがたい怜美さんであろう

加害少女は「なぜ」このような悲しいことをしでかしてしまったのか。県中央児童相談所の所長さんが一年前に発表したように、「社会性の障害を中心とする発達障害」のある子だとすると、その障害を治しきることができるのか、時が経てば神戸の酒鬼薔薇少年のように社会復帰してくることになるので、再発の可能性はないか危ぶまれることではなかろうか。

発達障害ということについて、そうではないと両親もその子も反論し、加害少女のPTSD(心的外傷後ストレス障害)が悪化したと、当時訂正と謝罪を求めていたというが、このような主張をすること自体、理解しがたいものがある。

家庭の問題も無く、たいした理由もなく、起こされたこのような事件は時が経てば治るようなことなのだろうか。加害少女は事件の前日に殺害方法をインターネットで調べていたという。また、私も事件の前日に、たまたま観たが、サスペンス・ドラマでカッターナイフでの殺人事件を放映していた。加害少女はそれにヒントを得たという記事を、一度目にしたがどうもこの記事はその後見つけられないのだが。

事件の前日、母親と愛について話していたというが、同時進行してその心の裏にあった暗闇に誰も気付けなかった悲劇。

今は栃木の児童更正施設「国立きぬ川学院」で加害少女は暮らしているが、どのような更正プログラムを受けているのか、被害者の家族には開示されてもよいのではないか。また加害少女の家庭には問題が本当にないのか、「父親は嫌い」だと言ったことがあったそうだが、どうしてこのような悲劇が起きてしまったか、もう少し社会に情報開示をして、お互い他人事ではなく、問題の所在を考える必要が急務のこととしてあるのではなかろうか。御手洗氏も言われるように「有用な情報」を社会に還元し、開示し、社会の疑問や不安に応える必要がある

あなたの可愛い子どもが何時、被害者になるかもしれない、いや加害者になるかもしれない。このところ、三十三歳と二十二歳になる青年たちが、それぞれ両親を手にかけて死に至らしめるという痛ましい事件が起きているが、このような事件についても社会の問題として受けとめないと、今に誰しもこのような悲劇にあう可能性がでてくるだろう。

今朝は御手洗怜美さんの慰霊のために祈りを捧げた。お母さんに抱かれて、慰められていることと思いたい。安らかでありますように


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4 コメント

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うさじいさんへ (風月)
2006-06-07 23:11:02
たびたびのコメント有り難うございます。



私もこのような場合、安易に社会復帰させるべきではないと思います。



再び事件を犯す可能性が無いとはいえないでしょう。更正という美名のもと、適当に時間さえ経てば、社会に復帰させるということではならないでしょう。



私が被害を受けた少女の親なら、どうなっていたでしょう。世の中の人は皆自分が被害者であったならとして、考える必要がありますね。
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慈愛は被害者に (うさじい)
2006-06-05 19:40:23
>この事件は特殊なケースだと思います



決して特殊な事件ではありません。風月庵さんもご存知のはずです。小学生であろうと高校生くらいであろうとも、このような事件は日常茶飯事です。

犯罪者は、大概の場合明らかに殺意を持って行動しています(この事件に限らず)死亡しなかった被害者は、奇跡的な理由で命が助かったに過ぎません。



それが生来のものであるか後天的のものであるかは、分かれるところですが、他人に危害を与えることになんら後悔の念を持たない人間が居るのです。



これらの人間が殺人を犯しても、無期懲役では何の意味もないでしょう。中には少年と言うだけで、なんら罪を問われない者も居ます。慈愛も慈悲も、それを解る人間にとっては深い懺悔の契機となるでしょうが、そうではない者にとっては、ただの飴玉ではないでしょうか。

被害者にこそ慈悲や慈愛の心は向けられるべきものと思います。
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うさじいさんへ (風月)
2006-06-05 10:31:25
この事件については、二年の間、記録を手元に残して置きまして、その資料を見ながらこの記事を書きました。



子供同士の事件としてあまりに痛ましい、特殊なケースではないかと思ったからです。



多くの子供に関する痛ましい事件が跡を絶ちませんが、十把一絡げに扱っては、駄目だと思います。



この事件は特殊なケースだと思います。この加害少女に社会復帰させるとしたら、社会はよくよく用心しなくてはならないでしょうね。



加害少女の更生という美名のもとに、この少女に責任を持っている機関は、問題から逃げないようにしなくてはならないと思います。



この教育機関に携わる人々の慈愛の深さを願うばかりです。

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言葉もない (うさじい)
2006-06-03 19:00:31
。発達障害ということについて、そうではないと両親もその子も反論し、加害少女のPTSD(心的外傷後ストレス障害)が悪化したと、当時訂正と謝罪を求めていたというが、このような主張をすること自体、理解しがたいものがある。



この親にしてこの子あり、ですか。

聞けば、加害児童は、殺人を犯した罪の意識がないとのこと。罪の意識が芽生え、本当に懺悔する気持ちが起きるまで社会復帰させないこと位しか方法はないかも知れませんね。

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