6月3日(土)曇り【教育を考える、その6-子は宝、しつけは子の宝・立腰について】
今朝、法事に出かける道すがら、NHKラジオで幼児教育についての放送を聞くことができた。それこそ幼児教育の原点と模範がここにあり、といえるようなお話であった。それは福岡の仁愛保育園の園長先生、石橋富知子先生による「三つ子の魂を育てる」と題されたお話であった。
教育哲学者の森信三先生が提唱なさる「立腰保育 教育の方針と内容」ということの書かれた本を読まれた石橋先生は、それを読まれた翌日から、早速実践をなさったという。先生が幼稚園を始めてから三年経つその日まで、園児の教育に振り回されていた状態であったようだ。そこに森先生の立腰(りゅうよう)教育を読まれて、これだ、と思うところがあったのであろう。
立腰教育とは、「腰骨を立てる」習慣を子供たちに身をもって教え、「心と体をととのえ、自分らしく生きる意志力、性根、主体性の土台」を培うことを眼目とした教育方法であるという。仁愛保育園では園児たちに毎日正座をする時間があるそうだ。はじめのうちはよく正座のできない子も、先生たちが丁寧に正座の方法を教え、腰骨を立ててきちんと座ることを教え、きちんと座れていないときは、姿勢を直してあげて、そして先生たちも腰骨をしっかりと立てた姿勢で一緒に正座をなさるのだという。
そして森先生の語録にあるように、挨拶をきちんとするのだそうである。子どもといえども「さん」付けで呼び、一個の人間としての自覚を持たせるのだという(石橋先生の表現は少し違ったかもしれないが、そのような意味あいだと思う)。また子供たちに話しかける言葉もきれいな丁寧な言葉を使い、決して怒鳴ったり、頭ごなしの叱り方はしないのだという。子ども一人一人の人間としての尊厳を大事にするということであろう。
子供たちが幼稚園に来て、靴を靴箱に入れるときもきちんと正座をして、靴を整えていれるのだという。聞き手の金光さんがそれをみて感心なさっていた。森先生の語録には「挨拶、返事、履き物をそろえる、椅子を入れる」ことが書かれていて、それを石橋先生は実践なさっているのである。
このように幼児期に立腰を身体に教え込まれれば、静かにすべき時と、騒いで良いときの区別のつく人間になれるのであり、人間として、してはいけないこと、すべきことが自ずと分かる人間になることができると、石橋先生は確信していらっしゃる。ラジオを聴いていてまことにその通りであろうと同感し、これこそ大事な大事なしつけではなかろうかと、強く思った。可愛い子供たちに、特にしてはいけないことの分かる人間になって頂きたい。このようなしつけを受けた子供たちは、命の大事なことは当然に分かる人間に育ってくれるはずだ。
なおも石橋先生はおっしゃったが、十才を過ぎれば、それぞれの個性を伸ばすべく、今までの教えをバネに、さらにそれをうち破っていく力を出せるものだと言われた。そしてこの情報社会でこれからの日本人が生きていくのに、「立腰は日本人の構え」となりうる、とも、森先生は説かれたという。
教育の原点はまことに立腰にこそあると言えよう。それは子供に限らず、大人にも言えることだ。私もこの頃はだいぶ姿勢が悪くなってしまったが、坐禅のときも、椅子に座っているときにも合掌のときも、姿勢を直し直し生きている。石橋先生もおっしゃっているが、幼稚園でも先生方自身がきちんと立腰に心懸けていらっしゃるという。それは単に手本ということよりも、それぞれ自身のためであろう。
今日のご法事で、私も、早速に背筋を伸ばし、腰骨をきちんと立てて合掌しましょう、と話したら、三歳の坊やが最も素晴らしい合掌の姿を見せてくれた。そして大人よりも長いこと何か拝んでいるようであった。私は度々に幼児の姿に感動している。幼児でもちゃんと理解するアンテナを持っていると、確信している。幼いときからお互いの人格を信頼しあうつき合いを、親子でも持つことが大事であると思う。
帰庵してから森信三先生について、インターネットで調べたら、教育についての第一人者であるようだ。国民教育の師父とも言われる方のようである。知らなかったのは私ばかりかもしれないが、ご紹介しておきたい。
森信三:(1896年9月23日 - 1992年11月21日)哲学者・教育者。愛知県、知多半島の武豊(たけとよ)に父・端山(はしやま)俊太郎、母・はつの三男として生まれる。2歳で岩滑(やなべ、現在の半田市)の森家に養子に出され、以来森姓となる。
1923年(大正12年)、京都大学哲学科に入学し、主任教授西田幾多郎の教えを受け、卒業後は同大学大学院に籍を置きつつ天王寺師範学校(現大阪教育大学)の専攻科講師となる。1939年(昭和14年)に旧満州の建国大学に赴任するが、敗戦後の1946年(昭和21年)に帰国、1953年(昭和28年)、神戸大学教育学部教授に就任。同大学退官後の1965年(昭和40年)には神戸海星女子学院大学教授に就任。1975年(昭和50年)「実践人の家」建設。1992年(平成4年)逝去。おもな著書に『修身教授録』『哲学叙説』『恩の形而上学』などがある。 半田市名誉市民。半田市がつくった新美南吉記念館の一室に森信三記念室が設けられている。
今朝、法事に出かける道すがら、NHKラジオで幼児教育についての放送を聞くことができた。それこそ幼児教育の原点と模範がここにあり、といえるようなお話であった。それは福岡の仁愛保育園の園長先生、石橋富知子先生による「三つ子の魂を育てる」と題されたお話であった。
教育哲学者の森信三先生が提唱なさる「立腰保育 教育の方針と内容」ということの書かれた本を読まれた石橋先生は、それを読まれた翌日から、早速実践をなさったという。先生が幼稚園を始めてから三年経つその日まで、園児の教育に振り回されていた状態であったようだ。そこに森先生の立腰(りゅうよう)教育を読まれて、これだ、と思うところがあったのであろう。
立腰教育とは、「腰骨を立てる」習慣を子供たちに身をもって教え、「心と体をととのえ、自分らしく生きる意志力、性根、主体性の土台」を培うことを眼目とした教育方法であるという。仁愛保育園では園児たちに毎日正座をする時間があるそうだ。はじめのうちはよく正座のできない子も、先生たちが丁寧に正座の方法を教え、腰骨を立ててきちんと座ることを教え、きちんと座れていないときは、姿勢を直してあげて、そして先生たちも腰骨をしっかりと立てた姿勢で一緒に正座をなさるのだという。
そして森先生の語録にあるように、挨拶をきちんとするのだそうである。子どもといえども「さん」付けで呼び、一個の人間としての自覚を持たせるのだという(石橋先生の表現は少し違ったかもしれないが、そのような意味あいだと思う)。また子供たちに話しかける言葉もきれいな丁寧な言葉を使い、決して怒鳴ったり、頭ごなしの叱り方はしないのだという。子ども一人一人の人間としての尊厳を大事にするということであろう。
子供たちが幼稚園に来て、靴を靴箱に入れるときもきちんと正座をして、靴を整えていれるのだという。聞き手の金光さんがそれをみて感心なさっていた。森先生の語録には「挨拶、返事、履き物をそろえる、椅子を入れる」ことが書かれていて、それを石橋先生は実践なさっているのである。
このように幼児期に立腰を身体に教え込まれれば、静かにすべき時と、騒いで良いときの区別のつく人間になれるのであり、人間として、してはいけないこと、すべきことが自ずと分かる人間になることができると、石橋先生は確信していらっしゃる。ラジオを聴いていてまことにその通りであろうと同感し、これこそ大事な大事なしつけではなかろうかと、強く思った。可愛い子供たちに、特にしてはいけないことの分かる人間になって頂きたい。このようなしつけを受けた子供たちは、命の大事なことは当然に分かる人間に育ってくれるはずだ。
なおも石橋先生はおっしゃったが、十才を過ぎれば、それぞれの個性を伸ばすべく、今までの教えをバネに、さらにそれをうち破っていく力を出せるものだと言われた。そしてこの情報社会でこれからの日本人が生きていくのに、「立腰は日本人の構え」となりうる、とも、森先生は説かれたという。
教育の原点はまことに立腰にこそあると言えよう。それは子供に限らず、大人にも言えることだ。私もこの頃はだいぶ姿勢が悪くなってしまったが、坐禅のときも、椅子に座っているときにも合掌のときも、姿勢を直し直し生きている。石橋先生もおっしゃっているが、幼稚園でも先生方自身がきちんと立腰に心懸けていらっしゃるという。それは単に手本ということよりも、それぞれ自身のためであろう。
今日のご法事で、私も、早速に背筋を伸ばし、腰骨をきちんと立てて合掌しましょう、と話したら、三歳の坊やが最も素晴らしい合掌の姿を見せてくれた。そして大人よりも長いこと何か拝んでいるようであった。私は度々に幼児の姿に感動している。幼児でもちゃんと理解するアンテナを持っていると、確信している。幼いときからお互いの人格を信頼しあうつき合いを、親子でも持つことが大事であると思う。
帰庵してから森信三先生について、インターネットで調べたら、教育についての第一人者であるようだ。国民教育の師父とも言われる方のようである。知らなかったのは私ばかりかもしれないが、ご紹介しておきたい。
森信三:(1896年9月23日 - 1992年11月21日)哲学者・教育者。愛知県、知多半島の武豊(たけとよ)に父・端山(はしやま)俊太郎、母・はつの三男として生まれる。2歳で岩滑(やなべ、現在の半田市)の森家に養子に出され、以来森姓となる。
1923年(大正12年)、京都大学哲学科に入学し、主任教授西田幾多郎の教えを受け、卒業後は同大学大学院に籍を置きつつ天王寺師範学校(現大阪教育大学)の専攻科講師となる。1939年(昭和14年)に旧満州の建国大学に赴任するが、敗戦後の1946年(昭和21年)に帰国、1953年(昭和28年)、神戸大学教育学部教授に就任。同大学退官後の1965年(昭和40年)には神戸海星女子学院大学教授に就任。1975年(昭和50年)「実践人の家」建設。1992年(平成4年)逝去。おもな著書に『修身教授録』『哲学叙説』『恩の形而上学』などがある。 半田市名誉市民。半田市がつくった新美南吉記念館の一室に森信三記念室が設けられている。
座る姿勢がとてもきれいで、背筋がすっと伸びていました。その子が言うには、こういう姿勢で居ないと先生に怒られるのだそうです。
友達の奥さん(オーストリア人)も子供のしつけは厳しいです。
やはり子供には、厳しい(正しい方法での)躾が必要です。
きちんと座れないのか日本の若者!
正座は日本の特許という錯覚を捨てて、あらためて立腰教育を真剣に取り入れたいですね。
昔の教育はきちんとした姿勢は当たり前のことでした。社会の狂っている面を正すには、言葉よりも姿勢ですね。
坐禅は当然の事ながら、背筋を伸ばしての姿勢です。
生活がきちんとしますし、生き方がスキッとするような気がします。
今の子どもたち、若い親たちも、猫背が増えましたね。
背筋を伸ばすことを教える場がほしいですね。
私も、背筋を伸ばしてみよう(汗)
それはどなたでしょうか。
それは、ぜんさんの奥様です。