12月4日(月)晴れ【喫茶去と且坐喫茶】
毎日寒くなりました。毎日相変わらず忙しくしています。
でも空を見る心のゆとりはなんとかあります。猫と遊ぶ時間は少しだけあります。
さて、先日、「喫茶去」という言葉について、ちょっと気になりましたので、出典について書いてみます。この頃は仏教にあまり関係のない方もご訪問くださるようなので、少し丁寧に説明させてください。
この言葉は、趙州従諗じょうしゅうじゅうしん(778~897)という唐代の禅僧の言葉として有名です。茶道の世界では、床の間のお軸によく使われているようです。
どのような場面で趙州禅師が使われたか、見てみましょう。
ある日、修行僧が趙州のもとにやってきました。「ここに来たことはあるかね」「はい、あります」「そうか、それではお茶を飲んで出直してきなさい(喫茶去きっさこ)」
またある日、修行僧が挨拶にやってきました。「ここに来たことはあるかね」「いいえ、ありません」「茶を飲んで出直してきなさい(喫茶去)」
そばにいた監院が尋ねました、「どうして初めての僧にも、前に来たことがある僧にも、喫茶去、とおっしゃたのですか」と。すると「監院和尚」「ハイ」「お茶を飲んで出直してきなさい(喫茶去)」
と、このように修行する主体であるそれぞれの自己に、目覚めを呼び起こしている言葉として使われています。
ですから、あまり優しく「どうぞお茶でもお飲みください」という感じではないようです。
しかし、喫茶去、の言葉の方が浸透していますので、それはそれとしまして、間違いというほどのこともないでしょう。ただ且坐喫茶さざきっさという言葉のほうが、「しばらくお座りになってお茶でもいかがですか」のニュアンスの言葉のようです。
たまたまインターネットの写真の中に、この文言のお軸がかかっているお茶席の風景を目にしました。
いよいよ師走で、皆さんもなんとなく忙しいのではありませんか。忙しい中にも「且坐喫茶」、ちょっとお茶をお飲みになるお時間をお楽しみくださいませ。
寒いですから、風邪にもご注意くださいませ。
ありがとうございます。
喫茶去の意味として、まあ、お茶でもどうぞ、が浸透していますが、修行者に目覚めを呼び起こしている言葉であると、言う意味で、茶掛けのご説明をしていただけるならば、それは素晴らしいと思います。